じゆうちょう。

日記です。観たもの、食べたもの、読んだもの、ほか。

オーラ問題

自分の周囲の美術系の女友達はわりと、昔からオーラ話がすきな方が多いです。

人の背後に見えるオーラには色があるとか。みえるとか。

 

あと、カラーのボトルを選んでどーのこーの。オーラソーマとかいうの?

これに詳しい絵を描く友達がいて、みんなすごく盛り上がります。

自分は特に盛り上がらないので、少し置いてけぼり感です。

 

えーと、いつもおいしいお弁当をのせて下さっている秋田のブログ主様の文章を読んでいたら、「オーラ」という文字があって、あまりオーラに興味がない自分がオーラについて指摘されたエピソードをふと2つ思い出しました。

 

1つは大学時代、授業と無関係に放課後、絵画室で油絵を勝手に描いていたとき。

時計がたくさんある絵を描いてました。

それは、いろいろ考えて、きちんとエスキース(下絵)を作って描いた絵で、「ちゃんと考えて描いた初めての絵」です。

それまでは、基本的に、ぱっと思いついた絵しか描いたことがなかったのです。

 

(ま、部活や授業で、組まれた静物画を描いたり、ポーズを決められた裸婦を描いたりってありましたが、どこから描くか、自分でぱっとひらめいて気に入った場所から描けるわけです。)

 

で、何日かその絵を描いていたら同級生の人が次々にバラバラに何人も、同じような言葉をかけてきました。

 

「どうしちゃったの?」

「師匠(←当時の私のあだ名その1)らしくないよ」

「絵も師匠らしくないけど、絵を描いている様子がいつもと全然ちがうよ」

「いつも絵を描いてるときはね、背中からなんか出てる感じなんだよ。この絵を描いてる時はそれが全然出てないよ。いつも授業中に絵を描いてる時はね、師匠の背中からは、すごいなんか出てるよ。オーラみたいなの」

 

なんだよ、オーラって。

わかんねーよ。

でも、なんかこの絵は全然うまく進まないよ。

ぐおー。

と、しばらく試行錯誤したのち、完成せずに放り出しました。

思えば、人生で初の未完制作です。

 

もう一つ思い出したのは、正確にはオーラとちっと違うのですが。

大学を出て少しした頃、卒業生と現役部員でモダンダンスの公演の練習を大学の体育館でしていたときの話。

 

いかにもコンテンポラリーっぽいのを15人くらいで踊る作品で、途中30秒くらい自由に動き回るシーンがありました。自由、といっても設定があるんですが。

 

そのシーンについて顧問の体育科の先生が「みんなものすごく動いているのに、○○(←私の名前)しか、目立ってない」(不満気)。

この時、一緒に踊っていたのは、私よりも先輩も多く、基本的に私よりもテクニックのある人が多かったので、結構みんな普通にびっくり、みたいな空気になりました。ま、私も、えっへん、とか思う前に、ええええええー、びっくり、って感じです。

 

その後、顧問の先生は、具体的に動き方のアドバイスをして練習を繰り返して、そのシーンは問題なくなったのですが。

 

この時に、なんとなく「あーこういう感じで動くとみてる人の目をひきつけることができるんだな」というのが感覚としてわかりました。

 

でも、自分が振付をしてる作品で、踊る人に対して「ここで、このように動いて目をひいてくれ!」と思って、やってみせて同じ動きをしてもらっても、全然目立つ動きにならないこともあるんですよね。動き方を細かく注文してみてもどうにもならないコトもあったり。

うーん、もっと自分が「頭から入る派」だったら、うまく指導しつつ振付けられたのかもしれませんが。根が「直感派」なので、うまく伝えられなかったのかもかもかも。

 

目をひきつけるのは、オーラともちょっと違うと思いますが、私の場合、目をひこうと思うときは「なんか出す」イメージで動くので、ちっさいオーラを出す感じに似てるかな~と思ってみたり。

 

オーラ、よくわかんねーよ、と言いつつ、ちっさいオーラを出す感じって…。矛盾しています。

 

とりあえず、自分の場合、背中からオーラが出てる感じで絵を描いてると、絵が「いい感じ」になるらしい、ということは判明しています。

 

描きながらオーラ出すのってどうすればいいのか。

そのうち、わかったらいいなーと思う次第です。

 

多分、「なにも考えてない」感じ、というイメージなんですが…。

子どもの頃と違って、知識もちょっとついたし考えないのは難しいです。

 

あ、ピカソが「子どものように絵を描きたい」と言ったのは、そういう感じのことなんでしょうか。

子どものように描けるようになった、と言ったのは晩年らしいけど…。がーん。

 

あーまー、比べるのもおこがましいので、気にしない気にしない。