じゆうちょう。

美術展やら食べた物やら気の向くままにかいてます。

ウルの牡山羊 シガリット・ランダウ展(メゾンエルメス8階フォーラム)

美術における言葉について、ちょっと(結構ぐだぐだ)考えちゃいました。

 

イスラエルを代表する女流作家の日本初個展だそうです。

以前、横浜ビエンナーレ(2011年)にこの作家のビデオ作品(「DeadSee」)をみて印象に残っていたので行ってみました。

 

でも、その時みた作品とは、また大分違っていて個人的にはちょっとがっかりでした。

すごく似たようなものばかり発表してる作家よりも、違うものをみせてくれる方が姿勢としてはすきなんですけど。

 

以前みた「DeadSee」という作品はビデオ映像をみるだけで、みる側がいろいろ解釈して鑑賞できるものでした。ま、あれもイスラエルの歴史や現状の知識があるほど、その理解の深度も変わっていくのかもしれませんが。

 

今回の作品展は、「DeadSee」よりも、もっとずっと観念的というか、理屈っぽい印象でした。

 

まずタイトルになっている「ウルの牡山羊」は、旧約聖書の創世記の中にあるアブラハムとイサクの話を参照にしている、とかで、「山羊の寓話」と題されたお話の文章がのっている紙を会場で配布しています。A4一枚分。結構長い。

 

あと違うスペースには、50年代のイスラエルの部屋が設置されています。

そこには4名の女性へ行ったインタビューの内容が閉じられたファイルが4冊おかれていて読めるようになっています。分量たっぷり。

 

現代美術は、芸術の宿命(?)として次々に創造性を求めてスタイルごと新しさを探し続ける中で、ビデオで言葉が出てきたり、インタビューが出てきたり説明が出てきたりというコトも起こってきて久しいですが…

個人的にはあまり説明が多いものは、すきではないんだな~、と、今回の展示をみて改めて思いました。いや、前からそうかな?ってちょっと思ってはいたのですが。

 

言葉で説明できることならば、もう文章にしなよ、小説とか論文とか、とか、思っちゃうようです。その説明に絵や図や動画が必要ならば、それは参照として付け加えたら?みたいな。

 

ただ作品をみて、じっとみて、自分がそこから感じること考えることを味わうというくらいが自分はすきなようです。

 

あ、だから最近芸能人進出が激しい、美術展の音声ガイドも試したことがないのかもしれませぬ。

(アレを否定するつもりはないのですが。美術に興味を持ち始めたくらいの人には、きっとそれなりに楽しい部分もあるんだろうな~とか思ってみたり。借りてる方も多いですし、よいサービスだと思っております。って、借りたことないくせに…。)

 

でもなー、美術鑑賞に知識が必要、ってのは現代美術に始まったことではないんですよねー。

 

だって、宗教画なんてキリスト教的知識がないと、どんな場面かも理解できなわけだし。

や、美術が好きな人だと、なんとなーく「これは聖書のこの場面ね」くらいのことはわかるでしょうけど…。自分は、美術はおいといて、神話とか物語が好きな小中学生だったので、その手の本やマンガはついつい読んじゃってたんですが。

 

静物画もそれぞれのモノが何を象徴しているのか、わからないと理解できないともいえるわけだけど…別にバラは聖母の象徴だ、とか知らなくて、「おお綺麗…」と、うっとりと眺めて満足、って姿勢が悪いかっていうと…、まあそのヘンは自由でいいんじゃないか、という気も個人的にしなくもない。いや、知ってる方が、おもしろさは増すのかなぁ。やっぱり音声ガイドは必要か。

 

が、こうした、三大宗教や神話や静物画に関する知識であれば、たくさんの作品の鑑賞に役立つので、「知識」をおさえた上で、作品を味わって下さいね、って主張もまあ、いいかな、って気がするのです、個人的には。

 

でもなー、今回の展示のように、一つの作品に一つの物語を読ませたり(や、旧約聖書も世界中も誰でも頭に入れておくべき知識なのか?)、4人の人への長いインタビューを文字で読ませたり、の「説明」って、そこまで美術につけてきてほしくないんです、個人的には。

 

できるだけ「言葉による説明」はない作品の方が、よりたくさんの人に伝わって、いいんじゃないかなーと漠然と思います。

その方がみる人に対して親切な感じ?

美術というのは伝わらないと~存在意義がないんでないかな~?と思うわけで~。

 

あ、でも、現代美術はより難解になっているので、やたらと言葉で解説することが求められてもいるのか…。伝えるために言葉による説明をつけてる、と考えることもできますなぁ。

 

いや、でも説明なしにストレートに伝わる方がいいような気も…。

文字の説明があっても、文字を読めない人が多い国もたくさんあるわけだし…。

そもそも、この美術展だって、物語の解説やインタビューがあったところで、それが作品の意図を伝えることにうんと役立っているかというと、はなはだ疑問に感じたし。

あ、このアタリが、最も今回の展示作品に対して不服に思ったポイントかもしれません。

 

こうした「美術において言葉による説明は不要なのではないか」という考え方は、「自律した絵画について自分なりに考えなさい」とか大学時代に絵画の先生に言われた呪いの影響なのかしら…。

いや、どちらかというと、大学モダンダンス部時代、「わかりにくい作品はダメ!」という思考を叩き込まれたせいのような…。どうせ作ってわざわざみてもらうなら何か感じたり考えたりおもしろがったりしてほしい、みたいな。

 

って、学生時代の終盤頃から10年以上「難解すぎる」とか散々言われるような絵を描いていた自分が、どの口で言うかー!と思いつつ、思いました。

 

いや、ゼミの先生が「現代美術のおかれている問題点、美術の歴史、現代哲学の問題点(!)、さまざなな事を考えた上で頭を使って絵画は描かなければいけない」とか、いつも言ってる人だったので…。

いやー、あの頃は描くのが苦しかったなー。

 

まあ、先生の呪いの言葉は、今も頭の片隅に亡霊のようにひそんでいるのですが。

やっと亡霊くらいになって、だいぶラクになってきて、よかったよかった。