しつこく、クレマチスの丘のネタです。
敷地内にある IZU PHOTO MUSEUM にも行ってまいりました。
入口です。↓
↑ こういう白っぽい建物に明るい緑が絡んでいる様子がたいへんすきでございます。
中はそんなに広すぎず、作品の量も多すぎず、みやすかったです。
作品が展示されていたのは、チラシにのってるこちらの方々。↓
チラシの右下にある作品は、古屋誠一さんの妻で、心を病んで自殺された方だそう。古屋さんはその後、20年以上にわたり妻のポートレイトを何度も編み直し過去と向かい合い続けてきたそうです。
荒木経惟さんの作品も有名な奥様の遺影を写した作品等が展示されていました。
古屋さんの作品は解説がないと奥様が亡くなっていることはわからない作品ですが、荒木さんの作品は「いかにも遺影」な写真が写されているので、事前の知識がなくても作品だけで亡くなったのだろうと想像がつきやすいです。
写真でも絵画でも「“わかりやすすぎる”ことはよくない」という意見もあるようですが、「そこに作者が意味をもたせたい」のならば、みる人に「わかる」ように表現してある方がいいのではないかな、と現在の自分は思います。
ま、“わかりやすすぎる”までの説明がいけないのであって、“わかりやすい”くらいならいい、って意見が大半なんですかね。でも、その境は、厳密ではないし、難しいな~と最近考えこんでいるところです。
多分、自分の感覚はなにかと少数派であることが多いので、「わかりやすい」程度なのか「わかりやすすぎる」のか、少し周囲に多数決でもとってみないと、判断ができないのかもしれません。うーむ。
なんてことをぼんやり考えたり。
そして、昔、社会人になって再会した高校の同級生が
「アラーキーにヌード撮らせてってずーっと口説かれてるんだけどさぁ。アタシ体、けっこう傷だらけだからさ~。断ってんの~」
って、酔っ払って話していたことを思い出してみたり。
あのコが死んで、もう10年も経つんだな~なんて考えてみたり。
確かに写真があると死んだ人にも「ふたたび出会う」ことができるのね、って思ってみたり。
同級生に会うためには実家に帰って卒業アルバムを探し出さないとなりませんが。
おかげさまで、昨日から飲みだした病院のオクスリは徐々に効き始めました。
ツバを飲んでも「激痛!」って感じではありません。
久々の風邪で棒にふってしまった日々のフラストレーションを、デカいキャンバス上で爆発させてやるぜ…と思いながら今日もたくさん寝ようと思います。