じゆうちょう。

美術展やら食べた物やら気の向くままにかいてます。

生誕一00年!植田正治のつくりかた展(東京ステーションギャラリー)

さて東京駅丸の内北口から直結しているコチラですが、その前には駅の反対側…八重洲口方面にあるブリヂストン美術館で「カイユボット展」をみてからの流れで参りました。

 

カイユボット展では、「パッと見にはいい感じ、よくみると細部に宿るちょっとした違和感」を作品に感じまして、果たしてカイユボットさんて、「全てを計算した上でオーソドックスさから(意図的に)外れていたの?それともアマチュアっぽさの尻尾が見え隠れしておるの?」とモヤモヤした気持ちで、植田正治展にやってきたわけであります。

 

そして入るなり、以下の文字です。(って、正確には覚えていないんですけど…。)

「自分はずーっとアマチュアだ」

そんな文字がパネルになってかけてありました。

アマチュア問題に脳を占められていたら、突然この文字が登場。ビビります。みすかされてる?(誰にじゃい…。)

 

植田正治さんの写真は、鳥取でみてきたことがあります。

 

(ちなみに鳥取の植田正治写真美術館、一昨年の春に行きました。すっごくいい感じです。美術館の前からも館内からもどどーん!と大山も見えるのです。植田さんが散々撮りまくった砂丘を闊歩してから、ココに行って植田さんが撮った砂丘をたくさんみてきました。オススメでございます。あ、更に境港で鬼太郎に会い、足立美術館へ行く、みたいな感じが更にオススメです。)

 

本展覧会のチラシの裏です。 ↓

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左下の作品は、ファッションブランド「タケオキクチ」のカタログの仕事です。この「砂丘モード」シリーズは鳥取でもみてきました。

ん? それ、仕事だし…植田正治ってプロなんじゃないの?と思ってみたり、です。

でも、他にも植田さんの言葉としてこんな感じの文字もパネルに。

 

撮りたいものしか撮らない
いや、撮れない
写真することがとても楽しい

 

うーん。確かに撮りたいものしか撮らないのって、プロとは言い難いのかもしれませんけども…。撮りたいものを撮った上で、タケオキクチのカタログ撮ってギャラが発生すればそれは客観的にみてプロなのでは…。

 

って、ここでギャラが発生すれば、またはその収入で生活ができていれば「プロである」とする説モンダイが頭を過ぎりました。

じゃ、生きてる間に1枚しか絵が売れなかったゴッホはプロじゃなくてアマチュアなのかよ?という反論を個人的に指示したい気持ちです。ゴッホの絵はプロなんじゃないかなぁ…。

ということは、プロかアマチュアって作品のレベルの問題なの?

うーん。

 

写真のことばかりずーっと考えて生きてたという植田さん、チラシ裏の右上の家族を撮ったシリーズも細部までコントロールしている作風です。

左から3人目に立つ娘さんに、「もっと花を上にあげて」とかお願いして、娘さんは腕がだるくてつらかったらしいことが後々文章になっています。

そもそも白黒の写真って…すごく作家の意図に合わせた調整ができるものというイメージです。(ちゃんと写真をしていたことはないんですが、高校三年間、写真部の友人につきあい、昼休み放課後の週に2~3日は常に暗室におり、時折現像を手伝っておりました経験からそう思うのであります。そして酢酸の匂いに抵抗のない体に…)

カラーになってからも「白い風」(チラシ裏、右下のヤツとか)シリーズとか、大分色調を補正というか自分の意図する方向にコントロールしている感じ。

常に隅々まで計算づく、という感じがします。

 

画面細部まで計算してないの?と思わせるカイユボットさんとはその辺りが反対にいるような…。

 

感動なんて計算で生み出せる的な主張をしていたのは「大鴉」を書いた時のエドガー・ア・ランポーだったと記憶しておるのですが、「感動」を狙うかどうかはおいといて、作品をつくる上で、徹底的に計算・コントロールしたい派と、しない派と、したいけどちょっとアラがでちゃったのかしら派(←ワタシの現在の推理ではカイユボットさんはたまにコレかも…)と、イロイロいるのかな~と思います。

で、その3つの派閥のどれだったら「プロ」だ、とか、そういう話でもないのかも、と思うのであります。

計算しつくして作業をしていっても、偶然生み出てしまうものがあったり…でも、まぁその偶然の産物をそのまま残すか消し去るかどうかをも、またコントロールはできるわけですが…。

うーん。隅々までコントロールしているかどうかは、すんごく重要なことではないのかも…。(まあ、わざとじゃないのにヘタクソが出ちゃってるのは、マヌケな気もしますけども…。)

 

というのもですね…。植田正治さんの晩年の作品で、最後にご本人がトリミングとかしていないカラーの写真が展示されてありました。計算しつくしていない写真と言えましょう。

これが、また、とてもうんとよいと思ったのです。うおぅっ!って感じ。あー説明ヘタクソで申し訳ございません。植田さんの写真はコントロールしつくさなくたって、“いい”作品なのかも…。

 

と、そんなことをツラツラと考えながら、ステーションギャラリー内を移動していたのですが…まあ、最後にあったその植田さんが亡くなるちょっと前のご自分で最後までいじくっていないその魅力的な写真をみていましたら…なんだか、もう、そんなコトどうでもいいような気分になってきてしまいました。

 

植田さんの写真、いろんなシリーズがありますが、どれもそれぞれにおもしろいです。

カイユボットさんの絵も、たまに「あれ?なんだ、ココ…」なんてことを思いつつも、おもしろい構図だったり美しい色だったり、たのしかったわけです。 

 

植田さんのチラシの表です。↓

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タイトル、≪小狐登場≫です。

この、センスがすきだな~と改めて思って、更なる美術館・画廊のハシゴの地へと向かいました。(ここは続きません…。たぶん…。)