じゆうちょう。

日記です。観たもの、食べたもの、読んだもの、ほか。

ジョルジョ・デ・キリコ展(汐留ミュージアム)

どうしよっかな。別にそんな好きじゃないんだよな、正直。

でも、ちょっとだけ引っかかることがあるし、汐留ミュージアム行ったことなくて行ってみたいから行ってみっか。と思って行ってきました。

 

汐留ミュージアム、ビルの4階。小さめでした。

平日午後行ってまあまあ混んでいましたが、観賞しにくいほどでもなくキレイでよいところでした。

 

でも、ロッカーが変わったシステムで、受け取ったカードを機械にあててカードに書かれたナンバーの扉が開くんだけど、その近くに他の人がいる時にはいちいち声をかけないとキケンだったり…。

デザイン的にはスタイリッシュでステキなんだけれども、忘れたものを取りだすにも何だかちょっと面倒で…「ココはふつうのロッカーでいいんだけどなぁ…」と思いました。

 

「謎めいた憂愁」1919年。↓(チラシからの小さいカットで薄ぼけててすみません)

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奥にいるヘルメス…なんだか鼻長い感じ…。

このシンプルな塗り方…。

「シンプルな塗り方」自体は嫌いじゃないんですが、キリコのは別に好きではなくて…。色調や画面構成などが生理的に好きなタイプではないというか。

そういう絵って、別に足を運んでみなくてもいいかなって気持ちがちょっとあるので、「キリコかぁ…どうしようかな~」と思ってたのであります。

 

キリコは「形而上絵画」と称される、独自の世界を描いた人で、目に見える日常の裏側に潜む神秘や謎を表現しようとしたらしいんですが…キリコの描いた謎には別にあまり個人的に興味がわかないというか…。

 

「謎」とかって、予想外の見事に合理的な説明があって明らかにされるのは好きなんですが…。って単なるミステリファンとしての気持ち?

 

キリコの絵は「謎めいている」だけであって…その謎の真相を「しりたい!」って自分が強く思う感じじゃないんだなぁ…。個人的に。

ま、何より色とかそんなに好きではなくて。

 

ただキリコに関して気になっていたことは2つあって、1つは、初期にはこうした形而上絵画を描いていたものの一時期古典主義絵画への関心からその様式を大きく変えて伝統的な技法と題材で制作をつづけ、晩年、再び形而上絵画に回帰して新たな形而上的主題に取り組んだ」って聞いたので、その初期と晩年の変化に興味があったってことでして。

 

で、晩年の…1970年「古代的な純愛の詩」。↓

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うーん。

そんな変わったかなぁ?という印象をもちました。

すごく似た要素で描かれた昔の作品もあるんですが、ほんとよく似ているっていうか…。

ま、確かに晩年のモノの方がより構図も練られていて描写も丁寧なのかな、とは思ったんですが、でもやっぱり描写もざっくりめだよなぁと思ったり。

いや、やたらと丁寧な描写が好きなんだ!っていうタチではないんですが。

いや、再び形而上絵画に戻ってきても、意外と…変わらなかったんだな~って思ったっていう。

 

さて、キリコについてもう一つ引っかかっていたこと。

以前、1枚の私が描いた絵について「キリコに似てる」って、プロの画家何人かに言われたってことでした。

いや、その時は『え?全然意識してないけど? 

そもそもキリコみたいに不自然な透視図法で描いてないし、謎めいた要素は一切ないでしょ? 

「形而上絵画」とはコンセプト的に全然違うでしょ? 

単に道と階段を茶系の色で描いてるその色が、「よくキリコがつかっていた茶色」と似てるってだけでしょ? 

しかもこの色、絵の具の色のまんまっつーかあまり混色した色じゃないから似てるだけで…わざわざ似た色作ってるわけでもないし、たまたまじゃん。』

なんて思いましたが、特に言い返しませんでした。

 

でもまぁ、なんだかずっと引っかかっていたのでキリコみに行っちゃったのであります。

 

ホント、茶色の色が似てるだけだった。

 

ほんと、画家はなんも考えずに薄っぺらく感じたことをぺろっと口にするよなぁ。

いや、それがよくないなんて思わないけど、印象を口にするのも、考えなしに感想をもつのもそれを言うのも自由だと思う。

「それ、ちゃんと考えてないでしょ? よくみてないでしょ?」って感じのコメントをもらったなぁって思ったことは今までもあったけれど、「キリコに似てるね」ってコメントもやっぱそっちの類だよなと確信を持ち、とてもスッキリしたという次第です。

 

絵画に限らず、人間毎回何に関してもイチイチしっかり深く観察して思考してコメントするわけではないんだから、「それ、ちょっと違うでしょ? それ観察まちがってるでしょ? それきちんと考えてないでしょ?」って感じる言葉を、ものすごく真面目そうに真剣そうな顔されながら重々しい口調でもらうことがあっても、これからも「ああ、実は適当に言ってるんだなー」と思ってスルーしていこう、ってしみじみと思いました。

 

あと、やっぱり大抵の人間は、モノを「感性と理性の両側面」で鑑賞してしまうと思うので、理性的側面・理屈や意味からみても、感覚的側面・色や形としてみても、魅力的なものがいいんじゃないかな~という自分の基本的な考え方を改めて思い出しました。

 

や、別に絵画は、両方あるべき、とか片方に寄るべき、とか誰も権威ある人が定義したり強制したりしていない世界なんで、どういうバランスを理想としても各自自由だと思うんですが。

私は両方魅力的なのがいいな~って思うだけで。

 

でも、まぁあまり複雑な意味とかは文化歴史の異なる相手には伝わりにくいので、そこの匙加減に注意したいなぁとも思いますが。

や、感覚的な面の良し悪しも、細かい事言ったら各個人で差があるだろうし、目玉の色によって見えてる色も微妙に違うだろうとは思いますがね。そこは自分の目玉と感性で好きなようにしようという所で落ちついています。

 

昔々、大学で「絵画は終わった」と言われている事について「今後絵を描いていきたいという人間はどう応えるつもりなのか」とやたら熱く語ってた美学の先生がいましたが、でも人類が生き続ける限り人は変化して新しい考え方感じ方が出てきて、ついでに画材とかも変化して、絵画は時代の変化と共に新しくなっていくのでは?」と考えた事なども思い出してみたり。

そうそう、新製品の下地材の実験もはやく終わらせないとなぁ、なんて事を思い出しつつ。

 

なんて、学生時代から考えている事を改めて思い出した日でした。

 

 

(おまけ1)

かーさんが食べたいと言ったので、今週食べたカキフライ。三重産。

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味がヒジョーに濃厚でした。ビバ三重。

 

(おまけ2)

抹茶のパフェを突然「撮るべき!」と思って、ネット検索してヨコハマのそごうの中にある「京はやしや」さんまで撮りに行ってきました。

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右下にあるのはお茶の佃煮ですって。甘さとのギャップにうまうま。

抹茶のアイスも白玉も美味しゅうござりました。

そして一緒に頼んだ煎茶がヒジョーに美味しかったです。

ビバ京都。