絵描き仲間の友人がオススメしてたと言われて、お絵描き友達と観てきた。
ちらし。↓
あらすじとしては…。
ちらしの裏。↓
眠くならないか心配しつつ行ったけれど、大丈夫だった。
大量のネガを残して死んだヴィヴィアンは、なぜこれほどたくさん写真を撮りながら発表しなかったのか、ナニー(乳母)をしながらたくさんの優れた写真をなぜ撮れたのか、彼女はフランス語なまりがあるのでフランス人だと主張する人 対 彼女の発音は正確にはフランス語なまりではないと主張する言語学者、とか、いくつかの謎が提示されそれを解明していくというような、興味をひっぱっていく展開をとっているし、音楽等を駆使して、時折たたみかけるようなシーンを入れてくれて流れに緩急を常につけ、観ている側が生理的にも飽きさせないように工夫してくれていたような。
飽きない。大事だと思う。時間芸術において。
(大学時代とその後、モダンダンス部で作品を作っていたせいか、『退屈なシーン』が続く事へ自分は妙な恐怖を感じてしまう。)
でも、まぁ、ヴィヴィアンのネガをオークションで落札して彼女の写真をメジャー化させ彼女の謎を追っていた青年がラストに語るコメントは「なぜ彼女はこれほどたくさんの写真を撮ったのかが謎だ」的な内容で、これがどうにも私には陳腐に感じられて仕方なかった。
あほか。
なぜ写真を撮るのか、なぜ絵を描くのか、なぜ踊るのか。
やりたいからに決まってんじゃん。
え?なぜやりたいのかって?
人は眠いから寝るんでしょ? 食べたいから食べるんでしょ?
撮りたいから撮るんだよ。描きたいから描くんだよ。
え?撮らない人も描かない人もいる?
そらそうでしょ。ゲームをしたい人もしたくならない人もいるんだよ。
演歌が好きな人もいればクラシックが好きな人もアイドルが好きな人もいるんだよ。
人それぞれでしょ。
お金にならないのになんでやるの?とかいう意見をイイトシして言う人とか頭が悪すぎてくらくらする。
ゲームしてても儲からないでしょ? でもやりたい人はやるでしょ?
ほっといてくれよ。(←ん?)
そんな事を考えました。
(おまけ)
映画の前に食べたガパオライス。
パッと見、「わ! 少ね!」って思ったのですが、ところがどっこい。
ご飯はうずたかく盛られていたようで、崩して食べたらすごい量だった。
最後まで美味しゅうございました。満腹。
ゆえに益々「眠っちゃわないかしら?」と不安を覚えながら映画館へ向かったのでありました。
最後まで集中してみれて、めでたしめでたし。