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じゆうちょう。

美術展やら食べた物やら気の向くままにかいてます。

メモ書き、2

にっき

(つづき)

 

それから私は隣の係の女子が炊いてくれたご飯で大量のおにぎりを給湯室で作った。

学内には帰宅できない教職員・学生がそこそこにいる状況だったので。

しかしこの給湯室で大量の調理をすることは意外と珍しいことではなく何だか日常の延長ムード。ラップとか大皿とか塩他各種の調味料、イロイロ揃っているので何も困らない。

 

隣の席の友人は、自分の子どもの幼稚園には家族が迎えに行ける事が確認でき、自分が電車で帰宅するのは相当大変らしいという状況だったので「うち、泊まりなよ」と誘った。他の女子職員にも一応声をかけたが、結局来たのは友人のみ。

 

一人は大変な思いをして遠い自宅までムリクリ帰宅したらしい。なんか人の家に泊まるのが苦手なヒトなんだって。大変だなぁ。

大学泊まるのもイヤだそうで。

 

自分は大学時代なにかっつーと大学に泊まっちゃってたな。課題終わらない時、飲み続けてた時、卒業制作中等々。美術棟のほとんどの部屋で寝たことあるな。

大学周辺に住んでた友達の下宿にもさんざん泊まりまくったな。

思えば小学生時代から友達の家によく泊まりにいくタイプだった。親が自由にさせてくれるタイプだったのと自分も家が嫌いだったのと、ちょうどよかったのか。

 

いつもどおり徒歩で帰宅。

 

水槽からあふれた水が床をぬらしていたのと、本が少し棚から零れ落ちていた以外、何も変わりない自宅だった。

二日に一度は扉をあけっぱなしにしてた気がする食器棚の扉はたまたまきちんと閉まっていて、すべての食器は無事だった。

 

いや、正確には、オットの部屋のドアは落ちた大量の本ですぐには開閉できなかったけれど、隙間から細い棒を突っ込んで一冊ずつどかして帰宅までに出入りできるようにしてあげた。

 

止まっていたガスを説明書どおりに復旧させ風呂掃除。

家中をざっと掃除。米を大量に研いで客布団を出し、カレーを作り、またも大量のおにぎりを作った。

 

一時帰宅したオットは大量のおにぎりや家で余ってる毛布等を持って、帰宅できない人々が待つ職場へ戻って行った。

 

やがて何度も遊びに来たことがある職場の友人がやってきて、カレーを食べ話し交代で風呂に入り眠った。

 

翌朝、オットの運転で友人を乗せて家を出て「少し遠いから」とガソリンスタンドへ寄って、友人を自宅まで送り届け「出たついでだし」といつもどおり週末の食糧の買い出しをした。

この適当に流れのままにした行動のおかげで、翌日オットはガソリンスタンドの長い列に並ぶ業務から逃れ、「スーパーに結構ないものありますよ!」って職場の友人兼大学後輩くんからメールをもらって「ありゃ、うちはたまたま昨日行ったからほしいもん全部買ってきちゃったよ」ってな返信をすることになった。

 

そして月曜、いつもどおり出勤。

引き続き午前中はさまざまな臨時業務に追われたものの、午後からはその合間に通常の急ぐべき年度末の業務の消化も始めた。

 

水が止まるかも問題については出勤して真っ先にそれなりの大人数で対処したけれど、「電気が止まったら主に理系の研究室が諸々まずかろう」という事はなすすべもなく様子を職員たちは見守っていた。

 

結局、職場は停電になることはなく職場の近所の自宅も同一区域扱いだったのか停電になる時は来なかった。

 

「うち懐中電灯ないんです。今どこ行っても売ってないんですよ。停電きますかねぇ…」っていう職場の友人兼大学の後輩に「じゃ、せめて…」ってV6(正確にはカミセン)のコンサート会場で買ったペンライトのうちのとても地味なデザインのヤツをしばらくの間貸してあげました。うちには色んなデザインのがたくさんあるからね。

 

本当に自分は特に困った事態に合わなくて、周囲の人たちはそれなりに大変な経験をしていて、都内からチバまで大変な思いをして帰宅した友人はその後2~3年いつでも大きないろんな物が入っているバッグを持ち歩くようになったりして、なんだか申し訳ない気持ちだった。

 

小学生の時に永井豪の「バイオレンスジャック」の1巻を読んで以来、いつかこんな目にあうのかもしれないからできるだけスニーカーで出かけたいし、一枚多めに着るモノを持ってたり、少しだけ食べ物を持ってたりしてもいいなと思って生きている。

 

そしてできるだけ自分の足で長い距離を歩けたりしてもいいなと思っていて、ついついふだんから長めの距離も歩いてしまう。

 

あの日の前と後で自分が変わったのは、出かける前に食器棚の扉がきちんと閉まっているかを少しは気にするようになったってことくらいだというのもなんだか申し訳ないような気になる。

 

6年前の夏に青森で原子力発電施設の見学をオットとした。

 

解説を読んでいてイロイロ気になったけど、この地域の人達はこの施設を受け入れてくれたんだな、それは受け入れた方がイロイロ利点もあるってことなのかもしれないけど、それでもこんな施設を近所に建てることを受け入れてくれてる人達がいて、電気が作られてるんだなぁって思ったことをその後も頻繁に思い出すのも、あの日があったからなのかもしれないけれど。

 

職場の友人兼後輩が返してくれたカミセンのペンライトは、7年前に友人Mちゃんと行った仙台のコンサート会場で買った。

その2年後その会場は亡くなった方々が一時期休む場所になり二度とそこでコンサートは行われなくなった。

 

たくさんの白と青のペンライトが輝く美しい会場の光景も毎年この日に思い出す。

こんな日にそんな綺麗なものを思い出していることもやはり後ろめたい気持ち。

 

でもまぁ生きているってことが素晴らしいから、命を大切にしていかなくちゃいけないってことなのか。

 

思い返してみたけれど、あまり防災の役に立たない記憶のような気もしないこともない。一応ペンライトはそれなりに使えるってことか。