じゆうちょう。

日記です。観たもの、食べたもの、読んだもの、ほか。

髙島野十郎展(目黒区美術館)

知人に2人、10年以上前からの髙島野十郎ファンがいる。

結構熱いファンだなって常々思っていて、そんなにも人を強く惹きつけるのならば一度はきちんとみてみたいと思っていた。

 

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(↑ チケットです)

 

若い頃の自画像、静物画、風景画、かの有名な蝋燭の絵、月の絵。

丁寧に丹念に時に執拗に描写されていた。

いや、蝋燭と月は執拗な描写のその先と言う感じで省略されているモノも感じたけど。

 

この作家のファンの人は、この執念をも感じるような力の入った描写や、蝋燭や月といった感情移入しやすい抒情的ともいえるモチーフなどに強く惹かれるのかなぁ?なんてことを考えた。

 

チケットになっている「さくらんぼ」はわりと好き。

 

ゴリゴリに手が入っているけどあまり美しいと感じない自画像とかはあまり好みではなかった。

 

静物画はかなり好きな感じのものもあったけれど、モチーフの配置がどうも自分の好みとは違う感じ。

似たことは風景画の構図にも感じたので、構成のセンスが自分とは少し合わないのかも。

 

静物画のテーブルが奥まで完全な平面としてしっかり描かれていない絵が結構あって、卓上のモチーフが丁寧に描かれている分の反動もあるのか、どうにも気になって仕方がなかった。

いや、そんな受験生へのツッコミみたいなことを作家に対して思うべきではないのでは?という気持ちもあるのだけれど。

 

蝋燭の絵はたくさんあったのだけれど、静物画のモチーフとは対照的に徹底した写実描写という趣ではなかった。

なんだか「蝋燭はもっと写実的に描いてほしい」と思った。炎の正確な描写がみたい。

 

小学生の頃からジョルジュ・ド・ラ・トゥールのファンだからかも。

 

でもまぁ、テーブルの面がきちんと描けていないとか、人物のみえていない後ろ側…後頭部や背中に立体感がないのがどうにも気になるとか、そんな受験生へのツッコミみたいなことばかり気にして絵をみるのもどうなのよ、とも本当に思っていました。

 

そんな部分は別にして、熱いファンがいたり、没後40年の展示に足を運ぶ人がたくさんいるのだから。

 

 

構図の正解というのはあるのだろうか。

 

この日の午前中にみた若冲の構図はことごとく自分にとって非常に魅力的な感じ。

これは単に好みの問題なのか。そうではないのか。

 

ある程度は理屈で構成を教えることはできるとは思うけれど、「これ、この部分、あと5mm右がよくない?」ってセンスを会得するのって…そうしたことを教えるのは可能なのか。

 

いやでもイロイロ勉強してセンスを磨くって言うしな。

 

あ、いやその髙島野十郎のセンスが悪いなんて思っていませんよ。

よくわかりません。

自分とはちょっと違う感じがしたな、という感想でした。

 

 

 

(おまけ)

目黒へ移動する前、上野駅構内でたいめいけんのオムライスを食べました。

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以前、日本橋三越の新館で食べた時よりもずっと美味しい感じがした。

気のせい? 体調の問題?

作ってる人が違うと味違いますよって話?

 

 

(話、もどる?)

 

髙島野十郎の蝋燭みて感動してる日もくるのかもしれません。

 

あー、本当にバカにしているわけではないのですよ。

多くの人を深く感動させてるんだから東大農学部首席のキャリアを捨てて独り画業に邁進した甲斐もあって立派だなぁ…と心から思っているのです。

(って、なんか言葉を重ねるほど誤解を生みそうな気配を感じてきました。)