じゆうちょう。

日記です。観たもの、食べたもの、読んだもの、ほか。

悩みがちな理由もそれぞれなのかもしれない。(ちょびっと追記)

近頃我ながら「よく悩むな、時間がムダだな」と感じる時が多く、あまり悩まずに時間短縮を目指したいなと思っていたところ、とあるブログを拝読していてあることに気が付いた。

 

そちらのブログ主の方は「悩みたがるのは何かを解決しようとしてるのではく、悩むことが目的。悩みたがることは日本人にありがち。自分を不幸だと思いたがる。人の事なんか気にする事ない」というような指摘を受けて、それを素直に聞き入れてらっしゃった。

 

へー。なるほど。そんな心理で「悩む」人もいるのね。いや、ワシは全然違う事情で「悩む」タチなんだな!ってことに気が付いた。

 

私の場合、大体目の前の問題に対して考えうる選択肢が複数あって「どれが一番ラクで損しないかしら?」っていう視点で問題の解決方法をどれにするかってところで悩む。

 

そう。私はものすごく怠け者。できるだけラクをしたい。そして「商人の家の子として損する方法をとってはならぬ」としつこく教育されて育ったせいか「損したくない!」という欲望が強い。非常にセコイのである。

 

昔から人の目はかなり気にしないタチ。食欲旺盛度が盛んすぎてどうしても耐え難い時は大学構内で歩きながら肉まん等様々なものを食べていた。

 

f:id:Strawberry-parfait:20191121112627j:plain

(超久々にハハと鰻を食べに行った。つまり超久々にハハがそれくらい元気な状態に戻ってきたということ。なんてめでたいのだ。)

 

 

さて、それにしても昔は「悩む」という行動をすごくしないタチだった。

いつから何が変わったのだろう?

 

思いついたのはキッカケは2つ。

 

1つは、「損したくない欲」が強まった。

子どもの頃はむしろハハから「この子は欲がなさすぎて…本当に困ります」と他人に紹介される毎日だったのに、どうしたこっちゃ。いや欲望中の食欲だけは相当にあったけども。たまに食べ過ぎで真夜中に苦しんで病院に運びこまれるくらい…。

 

昔は「損してもいいから、ラクな方、やりたい方」をすぐに選ぶタチだった。

確かにハハの言うように欲が少なめだったかも。

 

いつから「損したくない」が強まったのか?

はっ! 病気のハハの世話をキッカケに近頃無職生活だから?

昔も一時期病気で離職した時期があったけどその頃は「老後を考えて貯金しようね」なんてしんみり話題をオットからふられる事はなかったのでノンキに過ごしてたしな。

 

「無駄遣いしてはいけません」を今ほど感じて生きてる時期はないやも。

相当昔から不景気な日本で暮らしているくせに、なんて恵まれた人生。

例え親がでかい借金を背負って「高校行けないかも」宣言とかされてもなんだかんだおいしいバイトにありついて欲しいと思った高級油絵の具を迷わず買う学生として生きてたもんな。

 

ま、この「絶対損したくない欲」に関しては自分が仕事復帰したら緩和されるのやもしれぬ。

でもそれはまだ数か月は先になりそうだから…とりあえず貯金もあるんだし、あんまり神経質になるな、ワシよ…と宥めていくことにしよう。

 

f:id:Strawberry-parfait:20191121112651j:plain

(豪華。鰻がふわふわにやわらかくてものすごく美味しかった。ハハは久々にこのサイズの少し鰻の量が少ないお重を完食した。前回来た時はお重よりも小さい丼をハハは食べていたのでものすごく食欲がでたということだ。めでたい。)

 

 

さて、よく「悩む」ようになったキッカケとして思いついた2つめ。

 

病んじゃう人が周りに増えまくっているって件が影響しているのかも。

 

昔は本当に人の事を考えない人間だった。

捕まらない範囲で欲望の赴くままに生きたいと考えている人間だった。

 

小学生の頃は「なんであたりまえの事を言ったのにこの人号泣して私のせいだって言いふらしているのですか?」ということがたまにあった。落ち込んでる人に対して「今の失敗だったね~。言わなきゃよかったね!」って本人が原因であることを本人に向かって言葉にしちゃったりして。相手の気持ちを考えられないっつーか。人への思いやりがない。

 

でもまあ、周りの人が病んで休職しちゃったり自殺しちゃったりって事が何度かあると「昔より人の気持ちというものを考えられるようになったよね」って昔からの友人の複数から言われるようになってきた。

 

人の心理を少し考えるようになっても、特に「人目を気にして選択を悩む」という所に直結するわけではないのだが、「こっちの選択をした場合、周囲はこう受け止めてこう反応してこういう展開になる可能性が高いな」とか、選択した後の流れというものを人の気持ちって存在を意識して推測するようになってきた。ま、人の心理は読み切れるもんじゃないけど単純なことなら大体想像するとおりになるもんだ。

 

この人の気持ちという存在の要素を組み込んで「より損をしない選択肢はどっちだろう?」とか考えるようになったので「選択後の展開の推測」に時間がかかるようになって、人の気持ちを無視して生きてた時代よりも、考え出すと長くなりがちになってきたのではないだろうか。

 

ま、いずれにせよこの2つめのキッカケも「損したくない欲」と最終的にはつながっている。

欲深くなったあまりに大事な時間のロスが増えているという状況だ。いかんいかん。

 

所詮人のリアクションを先読みしても100%当たるってことはないんだろうし、あんまり深読みするのも無駄かもしれない。

 

この欲深さをちょっと減らすとよいような気がする。

もうちょっと元々の「こっちがやりたいのでやる」という方針に戻りたいものであります。

 

つまりお金は大切、ってことか?

 

f:id:Strawberry-parfait:20191121111643j:plain

美味しい鰻を食べるにもお金が必要だし。

 

ま、しょっちゅう悩んでることって、次のデカい絵は初期段階から油彩でいこうかな?とか最後までアクリルで仕上げようかな?とか、誘われたこのグループ展に出そうかな?どうしようかな?ってってなレベルの事なのだが。

うーん。最後の以外は悩みというより「迷い」という程度のレベルなのかも。