躊躇しつつ久々に対談本を買ってしまった。
躊躇したのは、なんか対談本は余白が多くてちょっとだけ損した気分というか…ああ、今、無職で貧乏だから…ケチくさい発想ですみません。
そもそもちゃんと本屋で新刊を買うなんて貧乏人にあるまじき贅沢。
ああ、仕事をしたいものだ。いや、かーさんが新たに具合の悪い所もみつかったし、えーとウジウジ。ちょっとこの無職問題は置いておこう。
しをんさんはわりとエッセイが好きで小説はまぁ少し読んでいる。そーいや昔まめさん(id:mame90)に強引に一冊ご推薦したな。「風が強く吹いている」。
まめさん、最近はてなでは御無沙汰だけど、時折現実で連絡を取っているし元気にいろいろ楽しそうにしているのでとてもよいな。
がんがん、話がそれる本日。(いつもか…)
うさぎさんはテレビ…mxの「5時に夢中!」で知って、すごく好きで降板した時はすごく残念でその後大病をされたと報道があったのでこの文庫を書店でみつけた時に
「おお。その後どうされておるのじゃろう。これは文庫だから対談は元気な時に行われたんだよね? でもコレを買えば印税はうさぎさんのお役に立つことになる?」
なんてこともちょっと考えてレジに持って行っちゃったのだ。
どっちもかなり好きな人だけどとても対照的な二人。
どっちも中高お嬢様学校出身で大学は外部へ進んだという文筆家。
クラスでのグループは対極にいる感じだけども。オタクと派手系。
自分も中高お嬢様学校~大学外へという大きな共通点があるせいか、ものすごく中高グループにおける話がよくイメージできて面白かった。
ま、なにより双方人として好感がもてて読んでて楽しかったんだけど。
お二人はさすが文章を書く人になるだけあって、中高在学中から己のポジションや同じ空間にいる他の人々、そしてお嬢様学校以外の世界の御出身の方々への洞察がしっかりとしておられ面白い。
自分は中高時代、本当に考えが薄っぺらく気分だけで生きていたヤツなので、いいトシになった今になって「おお、そうか、そうだったのかー。なるほどー」って感じに読んだのであります。
お二人は「女子時代」、それぞれカラーのはっきりとしたグループに所属しつつも他のグループの方々とも細々とした交流があることにふれていた。
あー。自分は中高時代、最終的にどのグループにも属さずに個別の交流だけで生息してたんだな~って思い出した。
や、友達がいなかったわけではありません。結構いました。はてなによく出てくる友人Mちゃんも中高の同級生。架空の存在ではありません。ほんとだよ。あまり言うと嘘くさくなるかなあ。
さて、2人それぞれの文庫版のあとがきがついていた。(あとがきは最後に読む派。)
しをんさんは「漂流」を続けていた。
そして自分が一番知りたいと思ったうさぎさんの現状も書かれていた。
うさぎさんは病気を通し、一気に「老い」を迎え入れ御本人が恐れ避けていた「老人」となられていた。
「漂流」を終え、「老人の島」に辿りつき「他者」と「自意識」を手放し、清々しく幸せにお暮しだという。
よかった…。
うさぎさんが幸せだというならマジよかったです。
そんなこんなでまた新しいじゃがりこに手をだした。
大変美味しかった。昔は「梅味」とか好かなかったが、最近その良さがわかるようになってきてしまった。トシをとるというのもいいのか? いいのか。
ダイエットはどうした?
大丈夫。とうとう昨日から、昔一時期やっていた「筋トレメニュー」を始めた。
今日の分もすでにやった。
今後も徹底した食事制限なんて実行する理性を身につけることは不可能だと判断し「だったらテレビでも見ながら短時間、筋トレしよう」という結論に。
考えがコロコロと変わる。
昨日はもっと人を観察しようかなとか、もっと自分をしっかりと認識しようかなって思っていたのに、この「女子漂流」を思い返していたら、「やっぱ適当でいいや」という気分になってきた。
中高時代、周囲にも自分にもあまり気を配らず「お腹へった」「絵、描こう」「化学の実験楽しい」「バスケ楽しい」「酢酸くさいな…」とか瞬間の気分だけで生きていた頃、なんだかラクだったじゃないかと思ったのだ。
何の悩みがないわけではなく、家庭の空気はジゴクのようで憂鬱だったし、金銭問題と受験が密接に絡んでいたので頭もとても痛かったのだが、ま、この二つは自分の責任ではないという意味ではやっぱり気楽だったわけで、トータルとして暢気だった。
意識しないと人の観察や自分の分析をしないということは、元々そういう事に興味がないのだろう。もちろんしといた方が良い事も多いなっていくつかの出来事から感じているんだけれども。
かつて「もっとよく見て考えて動いておけばよかったのかも」「がーーーーん」って、大きく衝撃を受けたことが立て続けに2件くらいあって、この「考えナシな自分の姿勢」についてずっと反省する意識があったのだけれど。
なんかこの「女子漂流」を改めて読んでいたら、自分が過去、意識して人を観察して考察して人と接していたとしても結果は大差なかったのかも、というか…そこまでムリする必要も自分にはなかったんじゃないかな、って気分がほんのりとしてきた。
最近、バレエの発表会なんてものに久々に深く関わったので、やたらと周囲のヘンな人々を気にして考えてしまったりしたけれど、もうちょっと考えすぎないで気分で動いてよいのではなかろうかという気持ちに。
ま、「先生の仕事」とかする時は「観察して考えて行動する」のが仕事だからするけど。
仕事中以外は本来の自分のスタイル…「適当に気分で動く」スタイルでいっか、という気持ちになりました。
一日で主張が変わるって…相当「気分屋」な感じだ。