じゆうちょう。

日記です。観たもの、食べたもの、読んだもの、ほか。

少数派。

ちょっと前に、よんばばさん(id:yonnbaba)さんのところで「コンビニ人間」のあらすじを読んだ。

今後も「コンビニ人間」を読む予定はないのだが、その時にぽやぽやと考えたものすごくどうでもよいことを書き止めたくなったので書く。

 ま、基本、どうでもよいことしか書いてないんだけど、ココ。

 

コンビニ人間」の主人公は「普通ではない」派らしい。

子どもの頃から本人なりの論理で悪気なく発した言葉に周りはぎょっとするっていう。で、マニュアル通りにやっていけばよいという仕事であるコンビニで働いていて…っていう。

 

主人公が多数派ではない、という点でなんだか「人間失格」(太宰治)を思い出した。

自分以外の感覚とか感情とかがわからなくって人が怖いっていうね。

 

中学生の頃「人間失格」を読んで感想文に「あ~この主人公の気持ち、わかるなぁ」って思ったことを正直に書いた記憶がある。

 

ま、すべてがすべて周りの人と違うってわけじゃないんだけど、多くの人が「こう感じる」ってことを「自分はそう感じない。自分はこのように感じる」ってことが非常に多くあったので。

 

周りと違うように感じたり考えたりするっていうのは、いろんな要因があるんだと思う。なんらかの疾患が原因になっている場合もあるかもしれないが、そうではなくても本来人の感覚や考え方はさまざまなものだと思うのだが。

 

日本の場合は結構、知識常識生活等々共通していることが多いと思うので、ものの感じ方とかに差異が少ないのかもしれないけど。特に子どものうちとかは。

 

コンビニ人間」の主人公は、幼少期、死んだ綺麗な小鳥をみて周囲の子のように「お墓を作ってあげよう」ではなくて、焼き鳥好きな父親を想起して「これ、食べよう」と言うとか。

 

異常なほどの食欲を誇ったワタシは中学時代理科の授業中に蜂の大群が出てくる映像を観ながら「ああ…なんてうまそうなんだ…。喰いたい…。猛烈に腹が減っている今、猛烈に喰いたい…。ゲテモノ喰い番組に案外ワタシ出れるかも…」と思って必死によだれをこらえたことをよく覚えている。

 

昔テレビで芸能人が「自分の国では鳩を食べるので、日本の公園でたくさんの鳩が自由にしていて、誰もとって食べようとしないから驚いた」という話をしていた。

 

常識や感じ方は国や文化によっても違うものなのね、と思ったもんだ。

 

「旺盛すぎる食欲」って特徴以外が起因となることも多いのだが、とにかく子どもの頃から今のイイ歳になるまで、「変わってるね」とちょいちょい言われる人生だ。

自分はそこでイチイチ腹は立たないけどなとか、この色の取り合わせが美しいと思うんだけどなとか。まあとにかくイロイロ。

 

少数派であると「変わってるね」だけで済まないこともある。

自分たちと違う結論にいたる道筋が理解できずに不気味だと思われたり、自分たちの予測のつかない行動をとることを恐怖に思われたり、少数派が実は正しかったと知ると敗北感とか嫉妬からなのか攻撃されたり、まあイロイロ。

 

でもま、現実社会で周りと接したり小説・マンガ・映画・ドラマなんかを通して学習して、多数派の思考や気持ちを憶測することにこちらも長けていくわけだし、面倒なトラブルを招かないように言葉やリアクションを選んだりすることが可能になっていくわけで…。

 

が、根が少数派なので「え?そんなふうに全然思わないけどな」って思うことは多くて、時に自分の意見を言いたくてうずうずするけど「でもコレは言わない方が平和だろうな」ってことで「言わなくても誰も困らないよな」ってことは黙るようにしている。ちょっとストレス。

 

そう、「すっごく多数派」かつ「少数派を攻撃したがる」って人との会話は少しストレス。言いたくてもガマンすることが多めになるので。

 

小学2年生まで自分はものすごーーーーく無口だった。チチに似て。

ハハと担任に2年間毎日攻撃されて、仕方なく小学校3年生から普通の人並みに話すようになり、授業中にわかる問題に正直に手をあげるようになった。

 

(今思えば2年生まで「わかる人~」って言われて手をあげないというのはちょっと反抗的なコだったのか? いや単に毎回手をあげるのは面倒くさいな、って思うナマケモノなコだったのだと思うのだが。)

 

でもなんか、無口のまま生きていた方が結果的に自分はらくちんだったんじゃないかなって近頃思う。

 

小学校5、6年の頃「答えはコレだと思う人~」って言われて自分しか手をあげなかったソレが正解ってことが2〜3回あった。

コレはワシが賢かったというエピソードではない。

Aを選んだ人が数名、クラスのボス女子が「こっちだと思う〜」とか大きな声で言ったのにつられてBを選んだ人が多数、Cに手をあげたのがワシ1人だったってだけ。先生が手をあげ直させたら、Cがワシ1人、その他全員Bにあげちゃった。その後プライドが傷つけられたのかボス女子から大層うらまれて面倒くさい感じだった。

先生、説明がちょっとヘタだし配慮も足らん。

 

いや、こっちも強すぎていじめられるようなタイプでもなかったのでそんなには困らなかったんだけども。でも、人から強烈に「むきーっ」って思われて生活をするというのは穏やかではないものだ。

 

ま、この場合「みんなが流される方へわざわざ流されなくてもいいや」って思って動くってところが少数派だったキモかも。

 

2度目に手をあげ直させても1人だけCに手をあげてたワシを心底驚いた目でみていた人が多数派。

 

小学校の授業の答えの正誤なんて相当どうでもよい話だと思うんだけどな、と当時思っていたもんだが。

 

「少数派」とか「1人だけ自分は違う意見です」って言うのって面倒なこと多いなって思う人生だった。

 

「少数派」であることゆえの面倒なコト、不快な思いをする件について深刻に悩んだのが「コンビニ人間」や「人間失格」の主人公なのかな~。

や、「コンビニ人間」は読んでないんでよくわからんし読む予定もないのだが。

 

自分も小中学生くらいの頃は「少数派」が理由で葛藤することは多かったのかも。イヤだったことはガンガン忘れる機能を搭載してるタイプなんであんまり強くその感じは残っていないのだが。

 

これからも変わり者って言われながら静かに生きていこう。うんうん。

 

 

(で、無関係な最近食べたもの ↓ )

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ラムレーズン味が食べたかったのだ。

「バターの香り? え?」って思いつつ、他に選びたいのがなくて手にとった。

別にバターの香り、ココになくてもよいけどなぁと思った。

でもラムレーズンとバターをつまみながら赤ワインとか飲むと美味いからな。

この時はコーヒーだったからなくてもいいなと思っただけなのかもしれない。

組み合わせも大事。

バターの香り、あったほうがよい派と不要派、どっちが少数派なんじゃろう。

ワシはどっちでもよい派。