じゆうちょう。

日記です。観たもの、食べたもの、読んだもの、ほか。

お仕事について考えていた。その1。

秋の涼しさがやってきて、エアコンなしの灼熱地獄職場ではなくなってからも出勤する朝が憂鬱でためいきが止まらない状況が続く中、とにかく今の職場は3月末までの契約なんだからそこまでで辞める事にして4月からどうするのかを具体的に考えるぞって感じの毎日を送っておりました。

 

暑さが何よりも辛かった8~9月頃は、今の勤務先の条件が諸々酷すぎる(自分の主観かな?と疑ったのでベテラン同業者に意見を聞いたら客観的にもそうらしい)からツライなら、同業の他の勤務先で今よりは条件がよさそうな所を探そうかな?という考えがあった。

 

今の勤務市内であれば正規ルート以外にも情報がふんだんに入ってくる人脈があるのだし。ある程度選ぶことができる。

 

だが、暑さがおさまり脳が冷静になってきたら「そもそもこの同じ室内に40人とかいてその全員とコミュニケーションをとったり、同業者と働く部屋もそれ以上の人数がいてずっとザワザワしてる空間で仕事するのがしんどいんだよな~」という恐ろしく根本的なお困り案件を思い出した。

何を今更…。

 

でも、ホント。大人数がいる場所が昔から非常に苦手。

 

多少のざわめきがあるカフェで長文メールやブログの記事をを作成したりはできるけど、大きな声での私語が絶えない職場でレポートや問題の採点とか無理。契約上短時間でこなさなきゃならんのに。

今の時代は自宅に持ち帰るのは当然不可だし、別室でもあまり長時間作業できない状況なので非常にツライ。

 

そもそも「学校」に身をおくだけでぐったりする子どもだったんだよね。(今更!)

夏休み明けの始業式の日は毎年帰宅すると着替えもせず床に倒れて1時間以上動けなかった。

 

なのになんで学校に勤めようなんてルートを辿っていたのかというと、まあ幼小中高の先生やハハオヤにめっちゃ強く勧められたから。

 

全然心惹かれる職業ではないけど、あまりにも多くの大人達が勧めてくるってことは自分に向いているのかな?と思ったわけである。

 

で、若い頃激戦の試験を偶然勝ち抜いてしまって正規の職員になれたわけだけど、何が問題ってわけでもない(仕事は非常にうまくいっていた)のに「これ続けてたらシにそーだ」って思って辞めたんだった。

当時もはっきりした理由が自分でもわからなくて人にもうまく説明できなくてちょっと困った。

 

まあ朝早いのがかなりツラくて(元々低血圧で大学も激しい頭痛をかかえながら毎朝通ってた)特に冬期は起きると気分が落ち込みすぎてウツっぽくなるのでしんどくて…というのが親しい人にする説明だった。

ま、あとやたらしょっちゅう、しかも結構長い時間鼻血が出る体質だったのも困ってた。

 

その後ブランクを経て2回くらい非常勤として(今は3回目)働いた時は、1回目はまあ早起きはツラかったんだけど他にはホントに恵まれてると思って働いてたものの1年半くらいしたら(多分ストレスが原因でなったっぽい⇒)病気になっちゃって辞めざるを得ず、2回目の職場では最初の冬がきたらため息が止まらなくなって2年目の冬もやっぱりしんどくなってきた上にハハの体調が悪化して毎晩ヒステリックな電話がかかってきてたらウツウツ気分が増幅してきて辞めたんだった。

 

過去2回の非常勤、一番ツライのは早起きだと思ってたんだけどよくよく考えるとそもそも35~40人の人を相手に何か話したり活動すること自体が一番しんどいことだったのかもと、この秋思い始めたのだ。

 

小学校3年の時から人前で喋るようになって毎年学級委員をさせられてたのだが、小学校2年まで決して人前で話すことのない人間だった。絶対に授業中に手をあげない。話したくないから。

(休み時間に個別に話しかけられたら話す。)

 

小学校1,2年時代、担任とハハに「(わかっているんだから)授業中手をあげなさい」と日々めちゃめちゃしつこく言われ続けてうんざりして手をあげるようになったら4月生まれだったのでやたら「クラスで一人だけ正解」みたいな事がよく起こったりして(下町の公立校の中では)勉強できることがバレちゃって学級委員とか何かの代表みたいになって全校生徒の前で喋る業務とかやらされがちな人生が始まった。全然やりたくないわけだが。

 

中学で出会った美術の恩師は人前で活発にふるまうワタシをみて自分と同じ職業を勧めたのだろう。

ハハも人前で喋るのが好き、それと同じようにふるまえるようになった子どもに満足、人前で喋って安定してる職業をめっちゃ勧めた。

 

それでも大学卒業の時に他の職業につけるようもっと就活をちゃんとすればよかったんだよな。

 

今も付き合いが続く中学時代の恩師に「普通の会社勤めは向いてないと思う」って言われたのが記憶にこびりついてたせいなのか、バブル弾けちゃって急に就活大変だよって御時世になったせいだったのか、単に面倒くさかったのかちゃんと就活をせずにいた自分がよくなかったような気がする。

 

自分でどんな仕事がしたいのか、向いていると思うのか当時ちゃんと考えなかったのだ。

出会うオトナ達がやたらと勧めてくるから教採受けるか、って感じで受けて受かってやってみたんだけど、とにかくすっごくウツウツ気分になってしんどくてヤバい気がするから辞めよう、みたいな。

 

思えば大学院修了後、70人くらいを相手にしてた専門学校勤めはやっぱりとにかく憂鬱だった。朝早いのがしんどいのかな、週の半分やってる夕方からの10数人相手の塾講師はウツウツしないなって思って、専門の講師は持ってた講義の期間が終わったら辞めて塾にしぼってやってたけど…あれは時間帯も多少影響はありつつも、空間にいる人数もまた影響あったのかも。

 

ほどほどの人数相手だといいんだけど、大人数相手だとなんかすごく疲れる。

この要素が結構自分は大きくて、しかも子どもの頃からずーっと変化がないようだしどうにもうまく解消できない。

 

9歳の時から人前で相当無理してとりつくろい続けてきたが、元々の自分の自然な状態でもできるような仕事はないもんじゃろうか?と考え始めた。

 

(つづく)