何度もこのブログに出てきてる いとむらさんですが、ドラマ「遺留捜査」を観てない方、すみません。
サッカー中継する局がやっているドラマ、ということで、日中、いとむらさんが出てきて「遺留捜査も応援しています」的なことを言っていました。
多分今日は中学からの仲良しの友達も熱心に応援しているはず。
小中学生時代は週間少年ジャンプがバイブルだったので「キャプテン翼」は連載第一話から本誌で読んでいました。もちろんメインキャラクターも上手に描けちゃう。ルールもおそらくほどほどに詳しいでしょう。
授業でサッカーする、ってなると結構よろこんでやっていました。(つっても、ほどほどにボールの大きい競技はすべて大好きでした。単に得意だからです。)
でも、ほとんどサッカー観ないんですよねー。日本が勝ったらいいな、とは常に思ってるのですが。
というよりも、スポーツ中継をほとんどみません。スポーツするのは好きなくせに。
観戦にはあまり興味がないのです。
これは…つまり…
他人には興味がないというか、ついでに人を応援するようなあたたかい心がないというか…。
なんだか人として何かが欠けてるんじゃあないのかね? と思います。
最初にこれに気づいたのは小学校5年生の時でしょうか。
近所の小学校4校くらいが集まって水泳の学校対抗試合みたいなのがあったのです。
で、学校代表で平泳ぎを泳いでいると、耳が水の上に出るたびに、なんかもうみんなすんごい大声で私の名前を呼んで応援している。
えーっ。みんな、なんでそんなに大声ですーごい応援してんの? ワシはこれまでの人生で他人にそんなことしたことなかったよー。と、非常にびっくりしながら泳ぎました。多分、目をすんごい見開きながら。
その後、中高でも、たかだか学校行事でクラス対抗のバスケとかしてても、何だか私のいるクラスはもんのすごーく応援がハデなのであります。めちゃめちゃ名前連呼。バスケ部やバレー部から流用した応援システムがものすごい統率されてカンペキに行われている。
えーっ。こんなどうでもいい(そんなこと言っちゃいかん!)試合にそんなに熱心に応援しなくても~。何だかすみませんねぇ…。と、ものすごく落ち着かない気持ちで試合に勝ち続けた記憶。あ、どうでもいいと思いつつ試合は全力です。
(たしかやたらと優勝とかしたような。10クラスくらいあったので、いつもみんなものすごく喜んでいました。えーっ。そんなにうれしいの?みんな。うーん。やはりちょっと私は少数派か。)
そして、高校3年の正月、同じクラスのそれほどは親しくない友達から年賀状が届きました。
「受験がんばってね」
え? オマエもがんばれよ、で、ないかい?
この人、推薦決まってないよなぁ…。まあ、中高の附属大学だけを受けるつもりで余裕があるのかな? ワシ、親から「浪人、私大禁止」って言われてて、ちょっと不安、なんて話した覚えはないのだが、なぜこの人は私の受験を応援してくれているのだろう?と非常に驚いた記憶であります。
が、その他の友達からの年賀状もほとんどみんな「受験がんばってね」とか書いてありました。
えーーーーーーーっ! みんな、自分も受験生なのに、年賀状に「がんばってね」とか書くもんだったの? つーか、ワシは、受験生だし出さなくてもよかろう、とか思って出さなかったような気すらします…。
自分が応援しなくても勝つ人は勝つだろう、とか、ちょっと思っているのでしょうか。
うーん。心が冷たいのか。
そんな事を考えていたら、サッカー決まったみたいですね。
おめでとうございまーす。
きっとサッカーファンの、いつもはめっちゃクールな我が友もハイテンションでよろこんでいるじゃろう。よかったよかった。
あ、でも、やっぱり応援があった方が勝つ確率は上がるんですよね。
だって、よくよく記憶をたどると、高校時代、クラス対抗でやたらと強かった自分のクラスは運動能力的にすぐれていたわけではなかったのです。応援されてる自分が内心笑っちゃうぐらいのすごい応援に相手のチームは大抵ちょっと気をのまれていて常に有利という空気でした。
さらに応援を統率していたグループの子達は、どうしても優勝したいと言っていて、ゲームには出れないうちのクラスのバスケ部キャプテンに、ゲームをどう組み立てるか作戦を細かく考えてもらって、キャプテンはゲームに出る子達一人一人に役割説明やら動きの指導等をしていました。
あれ? なぜか私は「すきにしてて」という漠然とした指示だった…。えーっ。
あ、きっとよく気がつくコだったので、ほおっておいてもよく働くコだったのでしょう。よし。
それにしても、ちょっと前にテレビ放送していた「コナン」の映画で声をあててた遠藤選手の棒読みっぷりは、久々にテレビから衝撃を受けたなー。