じゆうちょう。

日記です。観たもの、食べたもの、読んだもの、ほか。

ルイジ・ギッリ 終わらない風景

先週末、東京都写真美術館でルイジ・ギッリ 終わらない風景をみてきた。

スタートしてすぐの日曜日、まあまあ混んでいた。


目的はモランディのアトリエをみること。

30年くらい前に鎌倉でみたモランディの絵画の色調とは異なったさわやかな色味のある静物がうつっていた。


満足。

ホリデイイン

シアターオーブでミュージカル「ホリデイイン」の東京楽を観てきた。歌と踊りだらけ。

全出演者素晴らしかったけど、主演の坂本くんはますます素晴らしくてどーゆーこっちゃ?と思った。

 

鑑賞後は友人Mちゃんと食事…ハッピーアワーで飲んだくれ、青山で石川直樹さんの写真展行って解散。

 

超久々の幸福な休日だった。f:id:Strawberry-parfait:20250416200012j:image

 

 

思えばちょうど1ヶ月前に美術団体の例会で理にかなってない難癖をつけられて以降、激烈に重い風邪、ヘルペス、蕁麻疹、を渡り歩きつつ、理不尽な美術関係のやりとりと話が二転三転する雑用の嵐で1年半ぶりぐらいの地獄の日々だった。

 

冷静に振り返ってみても、完全におかしな人々から次々に絡まれてただけだったので、いちいちマトモに取り合ってストレスで体調を崩すなんてことを今後しないようにしたい。

美術界隈、特に高齢者はおかしな人が多いので、これを肝に銘じて生きていくべし。

 

 

関西で展示のプラン

昨秋から色々な人に相談・確認しつつ、所属してる美術団体の地域展の一つである関西での作家展に出品できるという話になっていた。

 

四半世紀くらい本籍が関西にあり、それなりに付き合いのある親戚も多い事や知人もある程度いることから出品には問題ないと相談当初から言われ続けていた。

 

それが3月半ば、美術団体の例会の中で突然一名の会員から批判が出てきた。あれ?いいって聞いてるのですが、と言ってもその方は「おかしい」と納得してくれない。その場では地域展の責任者と会の全体の責任者で改めて直接確認しあうことにしましょう、という謎のオチで場が終わった。

 

例会に不参加だった地域展(関西展)責任者へすぐに連絡して会全体の責任者と連絡を取り合ってほしいと伝えたものの、そこからすぐに連絡を取り合う事が行われず。

例会で異議を唱えた人に対して反論の声もその場で上がらなかった事から、自分の出品には差し障りがありそうだと感じて、自ら不出品の申し出を3月末に関西展のSNSグループへ連絡した。

(元々関西展について含みのある会員が多いらしいという追加情報もここで出てきた。)

 

関西展責任者からは「会の会則と地域展に関する内規の内容と、内規を決めた時の責任者の名前についての情報」が来て、私の出品には問題ないので「是非出品を」という。

 

現在の責任者と内規を決めた時の責任者宛に、「この内規から自分は関西展へ出品することは了承されると解釈してよいのか教えてほしいと」例会での説明を含めたメールを送った。

 

すぐに内規を決めた頃の元責任者から返信がきて、その晩には現責任者から、「自分が出品することに支障はない」との返信がきた。

 

この半月の「もやもやとした待ちの時間」はなんだったのでしょう。

 

関西展へ出品する作品の制作も準備だけしていたが描く気も失せ、例会で突然長々とヒステリックに異を唱えられた上、事前説明をしておいた他の人々からもそれについて口が挟まれることもなく終わったこちらの気持ちもちょっとは考えてほしいものだ、と思いつつ。

 

現責任者も関西展責任者もうまく論理的で説明したり文章化する事が大変苦手そうな人なのでとにかく放置だったんだよな、と改めて思った。

 

たまたま内規を決めた当時の責任者を教えてもらえたからよかった。この人は元々他でも長い付き合いのある人で論理的な思考もでき文章作成の能力もある人なので恐らくまともな返信がすぐにくるであろうとふんでメールを送ったのだ。

 

案の定、半日で解決した。

 

関西展は京都で行われるのだが、同時期に兵庫で友人と二人展をしようかというプランも並行して進めていた。

 

関西展への出品を断念した3月下旬、二人展も断念したいことを友人には連絡していた。友人は4月半ばまで返事は待つので検討してほしいと言ってくれ、結局関西展に出品することになったので、改めて友人に謝罪しつつ二人展をさせてもらうことになった。

 

6/10〜15に、京都府立文化芸術会館で、大きめの絵と小品を各1点

6/10〜14に、兵庫西宮市のギャラリー華で小品を数点

展示する事になった。

 

すでに描いてあるものもあるけれど、張り切って新作を更に描きます。

 

大学生になった。

美大の通信に3年生として編入をして今日から超久々に大学生の身分になった。

 

行こうと考えるきっかけになったのは、家族に「博士課程に行けば?」と気軽に言われたことからだった。

 

「博士に行きなよ」は3年前にも職場のボスからも数回言われたことがあった。

当時少し魅力的に感じてちょっと調べた。

今の自分ならどこの大学院が現実的か、何をどう研究したいか、その研究をした先に何があるのか。

研究したり論文を書いたりすることは楽しそうだとは思ったけれど、その成果がすごく何かに貢献するだろうとか自身がすごく満足するだろうとかってイメージは沸いてこなかった。

その頃は今と違って、ずっと出品していた美術の公募団体の会員にもなっていなかった。まずはもう少しちゃんと絵を描く時間を自分に確保するのが優先事項ではなかろうかと思ったのだった。

 

そして3年後の昨年、再び聞いた「博士に行けば?」の言葉に対して、「ああ、勉強したいな」と思った。

何の? 博士に行くとなると修士でやっていたジャンルと同じものとなる。そこへの興味は3年前と同様に強くはなかった。美術教育の研究よりも美術の実技的な勉強や研究の方がやりたい気持ちが強い。それは元々、大学に入る前からそうだったので大昔から変わってはないのだった。

 

現役の学生だった頃もその後も何度か、美術の実践の方の大学院(修士)への進学を検討したことはあったけれど費用面で怯んでいた。国立以外はなかなか高い。その金額をかける価値があると確信がもてなかった。

 

通信の美術の大学院があることを思い出して調べてみた。金額的にこれなら行くことへの気持ちの負担は少ないと思ったし、とにかく勉強したいと思った。

ただその大学院は遠方にあった。スクーリングは都内でも受けられるようだったが、できれば東京付近の大学の方が授業の選択肢などが広くなるかもしれないしよりよいのではないだろうかと更に探してみた。

 

大学院ではないが学士課程ならば通信をやっている美大があった。しかも五美大の1つだった。そーいや、ここの通信に行ってますって言ってた人が身近に一人だけいたな、と思い出した。自分が今会員となっている団体に出品者として出している方で、深く話したことはないけれど、そこの通信は内容がとてもいい、と言っていたことを思い出した。

 

別に修士の資格がほしいわけではない。一応修士持ってるんだし。

美術の勉強がしたいんだから大学でいいんじゃないか。

どんな授業があるのかの説明はサイトではやや抽象的だったがまあなんとなく想像はできた。楽しそう。やりたい。超やりたい。

大変そうだけど、やらねばならない描く課題があるって素敵。自由に描くのも好きだけど課題がある中でいろいろ考えて描くのも中学生の頃からとても好き。

 

コロナ以降、多少地味に暮らしていた貯金もちょっとある。

 

ということで行くことを決意した。

 

そこから手続きに必要な書類を集めるのには意外と大変で苦労した(主に大学卒業時と戸籍名が変わっているせいと戸籍が遠方にあるせい)けれど、とにかくどうにか手続きをした。

通信は一応定員はあるようだが試験はない。でも何気に志望動機などを書かねばならず久々に一瞬学生気分に立ちかえってみたりした。いや、学生になるんじゃん。

 

どうにか手続きを終え、今の仕事は4月からは勤務日を4割減として継続することにして、「ちょっと仕事しつつ大学生をやる」生活を今日からやることにした。

 

手続きを終えてから、身近にこの春そこの通信を卒業するんだよという方がいたので、いろいろ詳しく聞いてみた。

想像以上にスクーリングががっちりと大変そうだという印象。とにかく体調を崩せない。これが一番自信がない。3月の下旬も丸々一週間ただの重い風邪で寝込み続けていた。

まあ、2年間で卒業まではいけないかもしれんができる限りがんばってみよう。

できれば3年くらいで卒業したい。

がんばる。

はんちょう終了

2024年度は町内会の組長(←近所に配布物を投函したり、年に何度か集金をしたり、回覧板を回したりする)を束ねる班長(←少し離れたところに住んでいる各組長へその組の配布物を配達する)を我が家はやっていた。

 

一年間の業務がやっと終わった。やったー。

 

しかし、各班長の家に、班長が束ねる各組の分の配布物の束を複数配達してくれる役割をしている方とか、全体をまとめてくださっている方とか、本当に大変だろうな、としみじみと思った。特にうちは町内会として規模が大きい方らしいので中心でまとめている人は大変だろう。

 

大昔、地元で町内会長をずっとやっていたらしい祖父のことを思い出して、偉かったんだなあと思うなどした。