じゆうちょう。

日記です。観たもの、食べたもの、読んだもの、ほか。

本棚をみたがる人

「本棚をみたい」って人はよく口にするものなんでしょうか。

たまに言われるのですが、何となく「え~?なんで~?」って思ってしまいます。

 

とても図々しい要求のように感じるのですが、普通はそうでもないのかな。その言葉を私に伝えてきた人は基本図々しくない人が多かったので言ってる当人は“図々しいこと”とは捉えていないのだろうと思います。

 

自分には友人知人の「本棚をみたい」という欲求がわくことはないから、より違和感を感じるのかも。

「どんな本が好きなの?どんな部分が好きなの?」ということは興味があるので口にすることはあります。そしてその人が好きそうな本を思いついたりしたら「読みました?まだ?好きだと思いますよ。機会があったら是非」とか、自分が持っていたら「読みませんか?貸しますよ~」とか言うんだけど。どちらかというと喜びつつ。

 

自分はすっごくセコイ人間で、「本棚みせて」って言われると…

私がどういう経緯でその本を買ったのか、読もうと思ったのか、読んでどう考えたのか、そんなことは二の次で「自分にとって面白そうとか役立ちそうな本を並べているだろうから効率よく知るために本棚をみせてほしい」と言われているような気分がちょっとする。

「面白い本を知らない? こういうことに役立ちそうな本を知らない?」と言葉で聞かれると別に不愉快ではない。

でも、ただ「本棚をみせて」と言われるとどうにも、もやもやとしてしまう。

 

自分がその本に出会うまで、これは面白い、とても良い本だ、素敵な本だ、ずっと自分の本棚に置き今後も繰り返し読み返したい、そう思える本に出会うまでには、それなりの紆余曲折があったりする。そのために逆に時間の無駄だったか、と思う本に時間やお金をかけてしまっていることもあったりもする。

私が遠回りしたその道を、通る面倒や苦労はすっ飛ばして、おいしいところに行きつく正解だけをみせて下さい、って言われているような気分になる。「本棚をみせて」って言われると。

 

気軽に「本棚をみせて」って言う人にとっては「本」は大した存在ではないのか? いやいや、私にその言葉を言ってきた人は、結構読書が好きだったり論文書かなくちゃって人だったりそれなりに本を大事に思う人達だった。そうは言っても「たかが本」なのかも…かも…。

 

「宿題やってきた? みせて」って、朝、教室で会うなりに行ってくる人がたくさんいた。

「やってきた。みせない。わからないことがあるなら教えてあげてもよい」と答えてきた。あ、大丈夫です。そんなにはクラスメイトに嫌われてはいませんでした。結構友達もいました。

 

頼まれて宿題をみせてあげる人もたくさんいたけれど、私は心の狭い人だったのでみせることはなかった。本棚だってタダでみせたくはない。

みせても減らないんだけど。

なんの抵抗もなく宿題や本棚をみせてあげる人と比べて、私ってばケチ。

もっと更にオトナな心になれば、こんなケチな根性は薄れていくのかなぁと思ったりもします。

 

小学校1年生の頃は、「このマンガ貸して。読ませて」というクラスメイトに「いやだ」と答えていた。その子はそれを担任に言いつける。すると担任は「仲良くしましょう。貸してあげましょう」と言った。「それはイヤなんです」と私は答えたような気がする。

だってその子とその作品を共有したくはなかったんだな~。その子が勝手にそのマンガを買ってきて読むのはその子の自由なのでどうぞ、って思ったけれど。自分が日々一日中嵐のように言い争いをしている家族達の不快な声に耳をふさぎながら、一人で必死にその世界に没頭するように読みふけったマンガを、のんきに楽しもうと思ってる同級生に貸したいと思えなかった。

セコイ…。

小学校1年の時から成長していない私…。衝撃…。

 

もっと心の広い大人にきちんと成長できたとき、「本棚をみせて」って言われても、もやもやしないようになるのかしら…。

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めざせ、広々とした心。

 

 

(追伸?)

まめさん(id:mame90)、いつぞや、まめさんの記事のコメント欄で話題にしたネタ、やっと書きました。(^^;)