じゆうちょう。

日記です。観たもの、食べたもの、読んだもの、ほか。

正倉院の世界(東京国立博物館 平成館)

回り回ってきたチケットを手にしたので友人Mちゃんに声をかけてみたら「行く! 半休とれる!」って言ってくれたんで、会期終盤でもない平日なら余裕だぜ…と思いながら油断して行ってみたら、入館までに30分待ちだった。

 

世の中こんなに正倉院のお宝に興味がある人がたくさんいるなんて世界は計り知れない。

 

まあ混み合っているとはいえ入場規制してくれてることもあってそんなに観るのが大変というほどでもなかった。

 

 

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これは最後の方にあった撮影可の錠。

 

展示の最初にも錠があってMちゃんが「錠前ね」ってつぶやくもんだから「錠前…錠前やの娘…悪魔の手毬唄…と脳内は近頃見過ぎの金田一一色。

岸恵子の残像を必死に振り払いながら奈良時代に思いをはせてまいりました。

 

やがて巻き物に書きつけられた大量の聖武天皇の文字。

なかなか好きな感じの文字。一切破綻なく美しく書きつけられた文字。

「すごい…。書き損じなしでこの量…。気が遠くなる…」とついつい自分が書いたとしたら…を想像してちょっとくらくらしてしまうMちゃんとワシ。

 

このあと度々聖武天皇の持っていたものとかが出てくるのだが、非常に繊細なデザインで端正で美しいものばかり。そういえば文字も細目でアクがなくて美しい。

 

聖武天皇の文字とか持ってたものの趣味ってさ…結構女性的じゃない?」

「うんうん。繊細。女子っぽい」

「ねー」

とMちゃんと意見の一致をみた。

 

名前しか知らない人の文字や持ち物をみて勝手に趣味や性格を妄想する…たのしい。

 

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チラシに小さくのってたヤツの拡大なので伝わりづらいのだが、これもめっちゃ綺麗だった。

8世紀のモノがこんなに綺麗にこの世に存在するなんてマジすごい。

そして意外とかわいらしい意匠。

とか思いながら「螺鈿螺鈿迷宮…チームバチスタ…」とか連想して脳裏に浮かぶ仲村トオルを必死にかき消す。

 

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これも最後の方に展示されていた撮影可の琵琶なのだが、途中に展示されていたものは360度ぐるっと回って鑑賞できて、この裏面の手の込み具合が凄かった。

「見えないのにねぇ…」とか感嘆するMちゃん。

たしかに。それを言ったら側面にもびっしり手が入りまくり。素敵でござった。

 

全般的に想像以上になかなかの見ごたえ。

 

世の中火事とか地震とかあるし、形あるものはいつか朽ちるもんなんだけれど、賢い人の知恵と根性で今後とも古く貴重なお宝が大事に保管されていって、興味がある人が「ほ~」とか「へ~」とか楽しめるって状況が続いていったらよいなあと思いました。

 

そう、鑑賞しながらついつい「首里城…」とか思い出してしょんぼりしたりもしていた我々でありました。

乾燥激しくなってきているそうなのでマジ、火の用心だぜ…と思う今日この頃でございます。

カラさとツラさとシアワセと渓流

一昨日の夜は思ったよりカラい柿ピーを食べつつグループ展のゴタゴタ関係でエラいツラい目にあって、カラいもツラいも漢字で「辛い」なんだなって気づいた。

 

更に、よんばばさん(id:yonnbaba)にいただいたコメントで「辛い」と「幸せ」は横棒一本ちがいであることを知り、そうだな、グループ展ができるだけで相当シアワセだし、基本その判断力どうなの?と思っちゃう後輩から今更で面倒な内容だが相談をもちかけてきてくれるほど信用をいただいているなんてところもシアワセなことではないか、おお~なんて思いました。

 

が、ryoさん(id:ochi_cochi)からいただいたコメントで「幸」の文字の衝撃の成り立ちが罪人の「手かせ」の象形文字であると知り、更におおおおおおおおおー!と興奮。

そんな「不幸」な感じの状況が「幸」なん?

棒一本の紙一重にもほどがありませんか。ひょえ~。

 

ryoさんのコメントにあった「こんなことがありグループ展をするのはやめました」にあったエピソードに激しい既視感を覚え、なるほど! グループ展するのをやめたらこんなツラい目にあわないんだな!と闇が開ける感覚がした。

あ、蒙が啓く、ってコレ?ちがうか?

 

今回のに限らず、他に近頃毎年してる少人数のグループ展も結構な大人数の団体でやってるヤツあれもあれも、何なら毎年出してる公募展だって、全部やめたらめちゃめちゃラクで金も出ていかなくなって、時間もたくさん出来そうで何だかものすごくよいかも。

 

あ、いやいや、急に全部整理して止めようという決意をしたわけではありません。

 

今回のグループ展に関してはもう数年前に5年くらい「連絡係」をしていた時期、「判断力?な人」が数名メンバーに加わったり同時にギャラリーの使用における変化が始まった影響で、エラくツラかったのだが友人のアドバイスがあり、「連絡係業務内容フォーマット」と作って他のメンバーに連絡係を渡し初めてからのこの数年はラクだったのだが、今週月曜はついついうっかり「判断力?な人」とのやりとりに直接首を突っ込んでしまったり、ギャラリーが相変わらず「去年と違うことを突然ルール化してそれをあちらからはこっちに連絡してこない」という姿勢のために何往復も「相談してきた後輩」や「連絡係」と長文メールをするというツラいことに。

 

まあギャラリー自体最近おかしいんだよな。大きな店舗もあって老舗の会社のわりに。

去年とか約束した日時にギャラリーレンタル代を支払いに直接行ったら「担当者が体調不良で早退したので別の日に改めて来てください」とかぬかしやがって「いや、もう他の日これませんから!」っつったら30分くらい待たされた後、別の社員に支払いして領収書もらったりしたし。恐ろしい会社だ。

 

今回のグループ展は来年か再来年には別の身内関連のギャラリーへ会場を変更しよう、という話が浮上しているし、「連絡係は全員に参加案内メールを送る前に、ギャラリーと搬入搬出展示支払いについてルール確認をすること」を申し送り事項にしてもらえばよいし、「判断力?な人」とは自分は直接やりとりをできるだけしなくてすむようにしていけばよいし。

 

他は…やめられるグループ展は徐々にやめていこうかな。

今まで出してる公募展に出すのもあと3回くらいにしておこう。

 

個展も今年は自分の体調不良だった時期と重なってエラいツラくて「もう二度とするのはやめとこう」とか思っていたのだが、まあ、なんだかんだ小さい作品のいくつかを気に入ってお買い上げしてくださった方々がいたし、思いがけず大きめの絵を購入していただけてお店に飾っていただけるなんてうれしいことにもなったし…。

また機会がつくれたらがんばろう。

 

あんまりツラい人間関係からは距離をおこう。いや、基本はそうしているけれど。

 

「これも御縁」と思って流れてきた話には気がすすめばのるタチなのだが、「なんかしんどすぎるぞ疲れるぞ」って思う輪からは離れよう、と近頃思う。

 

そうそうもともと「気分」に従って動くタチで、そうして生きててわりといつもシアワセだった。

「でも、こうだからもう少しがんばろう」とかあんまり考えない方がよいのかも。

理屈で考えて動くと大抵「そうしなきゃよかった」と後悔することが年をとってきたら多い感じだ。え?考える力がダメなのかな? 勘の方が優れているのか?

 

アタマよくないのかもな、とは以前からうすうす気づいてはいるのだ。

学校のテストが結構できるのはわりと暗記が得意って理由のせいなんだろなって。

一昨日から、「判断力?」なのは己じゃ!という気持ち。

 

どうも考えるとマジ碌な事がない。

 

流れと気分に従っていきたいものだ。

 

 

そういや、ついこの間いつのまにか冷蔵庫で冷やしていた「渓流」という日本酒を飲んだ。

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新聞紙に包まれててむいてみたら裏にはよくある表示があった。

 

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純米ひやおろしって文字をみるだけで何だか美味しそうな気がしちゃうのだが、実際美味しかった。やっと風邪がおさまって風邪薬を飲まなくなったことこあってガンガン飲んでしまった。

 

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外側の新聞紙にラベルが貼ってあったので、瓶の正面はのっぺらぼう。

なんだかちょっと怖い感じがした。

 

何もないというのは不安なもんだ。

 

だから急にどのグループ展にも出さないって決断をするのもちょっと不安で、即決できないのかもなー。

 

でも、絵の関係の付き合いを整理したらかなり気分がラクになるかも。

もちろん付き合ってて楽しい人もいるんだけど。

そう、楽しい人とだけ付き合えばよいのだ。

 

絵に関しては公募団体関係とか…完全に趣味の世界な感じでやってるのとも少し違う所にいる感じだから、友人関係のように気が向く人とだけ付き合う、ってスタイルからいつの間にかうっかり外れてたのかもしんないけども。

 

「勘いいね」ってずっと人から言われてるってコトを忘れずに生きていこう。

「美味しそうって言った店は必ず美味しいってすごいよ!」ってのもよく言われるし。

 

自分の勘を信じるぞう。

 

柿の種 GALAXY MIX

超辛そう…って思ったのだが、

 

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なんだか「JAXA」の文字に浮かれてうっかり買ってしまった。

 

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なんか裏を読むのも楽しい。小袋の裏にもイロイロ書いてある。

 

だが、覚悟したよりもずっと辛かった。

ダメだ! やっぱワシは辛いのダメだ! なんで買っちゃったんだよ!

小袋の裏を読むためか?

ま、いいか。こんなときこそ家族に頼るのだ。

 

 

昨晩はえらく面倒なメールが美術系の後輩からきた。

相談したいから電話くれだと?

昨晩はもう分刻みにやるべき予定がつまりまくってたんで、12時過ぎまで落ち着かねーよ。そんな時間に人に電話したくねーよ。アナタもさすがにそんな時間じゃ困るでしょ?

ということをオブラートに包んでメールで返信して、相談をメールで送ってもらった。

 

グループ展の搬入について?そんなのは「連絡係」に相談すべき案件でしょ?

と思ったが、今年初めて「連絡係」をうけてくれた社会人既婚者の若手に月曜夜に込み入った案件をふるのはしのびなくて、簡素な返信を送った。

 

が、更に飛んでもない内容の返信がきたぞ。

おいおい、なんでそういう発想になるんだよ?それみんなに迷惑でしょ?

慌てて返信をうつ。サンマが焦げそうになる。ぎゃー。

 

結局深夜12時頃、まだすべての自分のその日の案件が終わらないうちに、長い長い返信を書いて、どうにか無難な路線に落ち着く返事が返ってきて終了。

ぐったり。

 

最初にこの相談、「連絡係」にふっちゃえばよかったのか。

 

翌日、この件を簡単にまとめて「連絡係」に報告しなくちゃな、と思いながら他の事をしていたら夕方過ぎに「連絡係」から一斉メールで連絡があり、その中に搬入についてもふれられていた。微妙に修正をいれて通達をしてほしい感じだった。

あー。このメールが送られる前にこちらから「連絡係」へ連絡を入れればよかったー。

 

当初、今年のこのグループ展、参加者が少ないということで「ちょっと面倒な展開を巻き起こしがちな後輩」に声をかけたのがいかんかったのか。

ちょっと面倒な感じだった頃からは年月が流れ社会人経験を積み結婚して子供ができても、なんでこういう説明受けてこういう状況なのに、そこでそういう発想?ってなっちゃうのかな。やっぱこの人の本質なのかな。本質が経験を凌駕しちゃうのかな。

 

なんでそう動くの?正解はこっちでしょ?って事をする後輩が美術系にはたまにちょっといる。一時期グループ展の連絡係をしていた時に、その後輩達にえらくぐったりした事があるのだが、最近しっかり者の後輩に連絡係を任せてラクチンな感じだった。

 

今回も新連絡係へ全部ふってしまったらよかったのかとも思うのだが、昨晩相談してきた後輩からの情報で、「ギャラリー、前と言ってることちがうじゃん!」って部分が判明したので…ちょっと介入しちゃったのだ。

新連絡係へ「以前はこうだったが今回もこうでよいか?」ってギャラリー担当者と確認するように伝えそびれてたのか?ワシがいかんのか?とか思ったのだ。

 

昔は違ったのだがギャラリーをやってる会社が大手の傘下に入って以来、ギャラリー担当者が毎年変わるようになり、細かい部分がコロコロと勝手に変わり、あちらからはそれについて説明がないのでちょいちょい突然こちらが困ることがある。

だから連絡係は毎回ギャラリー担当者に細かい部分に変更がないか確認してからやってくれ、って申し送り文書を作成した時に入れた気がするのだが。

 

あーワシが細かいのかな。神経質すぎるのか。

 

最近、宅配業者の人手不足のあおりで作品郵送をする人が間に合うように時間指定しても守られない事がよくあるようで、今年の5月にも複数の作品が時間にそろわずエラく大変なコトになった作品展に参加していた。

 

そうでなくても作品到着が大幅に遅れて気をもんで実際作業もえらく大変になったことがこのグループ展でかつて2~3回あった。その時は業者じゃなくて「なんでそう動くの?」系の後輩のせいなんだけど。

 

「なんでそう動くの?」系の人はまあちょっと発達気味なのかもなと受け止めている。まああの辺の事は診断が難しいし診断ついている人でも人それぞれだなと少しの生徒の例をみていて感じているので、とにかく全体が困る展開にならないように、無難に行動してくれるように極力誤解ないよう噛み砕いて説明するようにしていて比較的最近平和に進んでいたのだが。

 

なんか久々に「なんでそう動こうとするのだ?」系の人のそんな件に関わりどっぷり凹み中。判断が甘かった。この後輩は当時学生でまだ社会性が未熟な面もあるし…なんて受け止めていたのだが、かなりの社会性を身に付けられる経験をへてもやっぱり「なんでそうするの?」なタチなのだ。

 

いや、まあ、自分こそ、なんでわざわざ間にはいっちゃうんだ? なんでそうしちゃうの?だよ。「連絡係に相談してください」の一言を返して放置がいいよ。

いや、それで結果、搬入陳列の日に作品来ないと結構かなり困るんだけどさ。

あれ?

 

一般的に世間の「なんでそう動くの?」系は方々は「辛いです」って口にしているらしいが、ワタシはそんな人々と関わるのが結構ツライ。こっちも辛いですって言いたい。

 

相手が生徒だとなんかこうお仕事モードに入るせいかツラくはないのだが、個人として関わるのはしんどい。

昨日の相談してきた後輩が一番最初にやらかした事件の時から「私にはちょっとあのヒト無理です」と距離をおいた前連絡係ちゃんはなかなか正しいのかもしれない。

 

「からい」も「つらい」も「辛い」なんだな、とさっき文字をうってて思った。

おお、偶然。

 

辛い柿ピーも舌がしびれてツラかったもんな。なるほど。

 

カラすぎそうなもの、こっちがツラくなりそうなヒト、気をつけよう。

 

崎陽軒の中華弁当とか

たしか「東京駅限定でーす」とかお店の人が言ってた。たぶん。

 

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テカっていて恐縮です。

 

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 おかずエリアのセンター左のおかずが右に転げ落ちていましたが、気にせずさっさと撮ってがっつき始めてしまいました。

安定の「全部美味しい」感じ。

 

先週までの長期体調不良の影響でイロイロ時間がなくなってきたので何かとアワアワな感じでギャーギャーわめくハハのトークを聞いたり返したりしながら食べるのがもったいないような美味しさ。

 

このウマさだけが文句たれたれ星人のかーちゃんの気分をわずかになだめてくれる効力を発揮するアイテムなのだから猛烈な感謝しかないでござる。

 

「二つ買ったうち片方の懐中電灯の電池の入れ方がわからない」(←いや説明図ついてるぞ)とか「もらった連絡電話で時間だけよく聞き取れなかった」(←すぐその場で聞き返してくれ)とか「やっぱり携帯電話が寿命らしくてすぐシヌ」(←家電も始末しちゃったくせにヤバいじゃないか!「電気屋で買おうと思ったけどやめておいた」って、買ったらいいじゃないか)とか、もうしょうもない問題をイロイロ解決。

 

懐中電灯、裏の説明図をよくみてくれ…って、若い頃から「説明書は面倒くさい」とほざいてチチとワタシにこうしたことは何でも丸投げして生きてきた結果であろう。

もっともっと昔に「自分でできることは自分でしましょう」と主張して納得してもらわなかったワシが悪いのか。くー。

 

いや、なんで子が親をしつけなならんねん。(特に関西で育ったこともないのに関西弁っぽくつぶやいて失礼しました。でも戸籍は関西。)

 

この後イロイロやって、銀座で知人の個展とかちらりと覗いて本屋に立ち寄ってちょびっといくつかパラパラと立ち読みしちゃって買う決意を固めきれないまま「わ!もう行かねば!」と店を出てしまったのだが…。

 

ちらりと読んだ一冊には、ぎゃーぎゃー文句ばかり言ったり子どもに超自信を失わせる呪いを吐き続けてきたハハへの対処として「何も考えずに相手の話を聞く」スタイルを身につけていくとよい、的な心理療法?の紹介があった。

 

相手の話を聞いてる時に、特に自分がどう思うかとかは考えないでただ聞く、アドバイスもしないでただ聞くスタイル。

すると自分は気分が悪くなることはないし、相手のイライラもだんだんおさまりますよ、的な。

 

ふーん。

 

老化していたハハの話は、何も考えずに聞いてるだけでは問題を引き起こしたり自分が困難に陥ったりするものだと思うのだが、それはまた別の問題ってことなのかな~?

 

文句や困っていることを伝えてくるハハの話をただ何も考えずに聞いて何も言わなければ、事態は何も解決せずにハハはグチを言い続けてどうにかしてくれをくりかえしてくるだけだが、そこでもただ何も考えずに聞いてやれば相手は黙って空気がよくなりますよ、ってことらしいのだが、電池の入れ方がわからないと放置されてる懐中電灯は放置せよってことなのだろうか?

 

「教室へ行くのがイヤだから次のクラス替えまで不登校します」と宣言した中学生に対して「そうですか。どうぞ」ってスタイルもアリとする教員を思い出した。

 

当時非常勤だったワタシは「不登校宣言した生徒と話をしたい」と担任にお願いして、こっそり美術準備室で話をしたっつーか、話させてもらった。

 

ツラくてたえられないならムリし過ぎて健康を害することになると自分への被害は大きいと思うのでそこまで無理なガマンをして教室へ行く必要はないと思うけど、教室へ行かない行動をとることによる自分への不利益も認識して休んでほしいとワタシは思っているって事とか。

 

勉強は自分でもできるけれど、教室で授業を聞く方が自分への利点が多い部分もあるとか。

学校へちゃんと通える人ですよって経歴をもつことと、学校へちゃんと通うことができなかったって経歴をもつことは、社会人になって人からの見られ方は違うので、そこは自分にとって損する部分もあると思うとか。

 

自分にイヤなことを言ってくる人が1~2人教室にいるかもしれないけど、その人達は恐らくアナタがすごく絵が上手な事とかがうらやましくてしかたなくてアナタがイヤな気持ちになったら自分が何となく不満に思っている現状への口惜しさがマシになるんじゃないかって勘違いして、ヤツアタリや嫉妬でアナタにイヤな事を言ってくるような気がするってこととか。

 

そんなセコい奴らの幼稚なヤツアタリのせいで、いいヤツなアナタが学校へちゃんといけない人としての経歴を作ってしまってそのことによって不利益をこうむったら何だか損な気がしてイヤだなぁと思っているとか。

 

とにかくあまり苦しまないでほしいけど、一時的に教室から逃げてラクになって何となくラクな状況に流されて実は思わぬ損もしてたなんて事にはならないでほしいので、できるだけ自分が幸せに生きていける方法を常にしっかりと考えて行動してほしい、クラス替えまでだって、完全に家にいるのと保健室登校してちょっとでも教室に行けそうだと思ったら教室の授業に参加するようにしてみる、とかだと人からの見られ方は違う、保健室にいることに何かイヤなこと言う人もいるかもしんないけど、いちいち気にすんな、言われて凹みそうになったら、言いやすい先生とかに言ってもいいし先生に言いにくかったら、グチれる友達に「ちょっとグチらせて」って言ってグチろう、あのヒトとか今までも話聞いてもらってたんでしょ?これからも聞いてもらったら?とかなんとか。

 

本人が語った事情は担任から聞いてたし、なんかその事情本当は本人は言いたくなさそうだったし、言うの苦痛だと思うし、聞いてあげてスッキリしてもらうってのもいいかとも思ったのだけれど、その時は切実に時間がなくて、「もう明日からは学校へ来ません」って言ってるって聞いたのは下校時刻まであとこれくらい…みたいにタイムリミットがあったので、「ざっくり事情を聞いたのですが、私が言いたいことを伝えさせてください」って言って伝えさせてもらった。

 

相手の話を黙って聞きましょう、何も考えたりアドバイスをしたりしてはいけません、ってスタイルを推奨している本をちらっと立ち読みしちゃったらそんな事を思い出した。

 

直接話を聞くこともできず、アドバイスのつもりはカケラもないが、「あーあんなセコいイジワル言う生徒を気にして『不登校』のキャリアをこのコが積むなんてなんだかムカつくんですよワタシは」って本人に言いたくて仕方なくて相手に聞いてくれ!って言っちゃった私のスタイルはよろしくないってことなのね、「明日から不登校します」宣言をした生徒には事情だけ聞いて、アドバイスはせずに「はい、どうぞ」と言った担任はこの本で紹介されてるスタイルと相通じるんだな~とか思った。

 

話を聞いて「そうですか。どうぞ」ってやると聞く方はラクですよって本に書いてあった。そうね、教員、大変だもんね。すべては自己責任ってことで「そうですか。どうぞ」って不登校増やしていこうぜってスタイルも今後増えるのかもね。

 

不登校宣言のコに美術準備室でワシの想いの一部を語らせてもらって、少ししてハハの体調悪化を機に非常勤を辞めて一年経ってそのコがいる学年の卒業式に行って、本人に「三年生になってからはちゃんと教室に行ったし高校も決まったよ」って聞いた。そこに自分の影響があったのかどうかはわからないしどうでもいいけど、とにかく結構学校にちゃんと通えて高校へ行くことになったって何か友達とも仲良くたのしそうでよかったね!って思った。

 

各個人が少しでもしあわせに生きていけるように学校でイロイロやってるんだと思っている。自分は嫌いだけど面倒な集団行動も多少はできた方が個人としてよい部分もあるしな、とか、苦手な教科も多少は学んでおくと直接的ではなくとも生きていく上でよい部分あるよなと思っているっつーかそうあるべきであろうと思っている。

苦手である人こそそれを学習する利点があるように意識して授業をしていた。

 

不登校宣言したコに意地悪言ってたってコ達も全方位極悪人なわけでは勿論ない。いいとこもちょっとある。それダメでは?ってトコもかなりあるんだけど。

毎日いろんな場面でコミュニケーションとる中で「それはダメでは?」って場面をみた時に本人とそれについて会話して本人に「ダメかも。よくない。やめたい」って考えに落ち着いてもらうとか、そういうのがセンセーと生徒の会話なんじゃないかななんて感じに思う。

 

ま、本当はそういう道徳心とか社会性とか各家庭でしつけてもらって勉強とせいぜい集団内でのコミュニケーションとかに学校は集中できたらもうちょっとはラクになるんじゃないかと思うけれど、それどころじゃない家庭は増える一方なので難しかろう。

 

ただ話きいて「そうですか。したいようにしてください」だけ声に出してりゃラクですよって意見には「そりゃラクでしょうね」って思うし、基本ラクなのがよいと思うのでそれで特に問題ない場面では全然よいと思うのだが、果たして学校のセンセーが常に取ってよいスタンスなのじゃろうか?はて?とちょっと思ったりした。

 

でももう先生マジ基本大変な感じなので、てーへんなことになってる学校では一人の不登校に丁寧に付き合ってる場合じゃないって感じになっちゃう場面も時にあるだろうとも思うのだが、その時は「いや、まだこの学校落ち着いている方だし、担任、アナタそこまでてーへんなほど仕事かかえてないのに、『はい、そうですか、どうぞ休んでください』ってスタンスかよ!!」って何かビックリしちゃったんだよな~。

 

って、ちらっとの立ち読みで、ちょこっと思ったことを書き出したらだらだら長くなってしまってそれもビックリでございます。