どっかでちらっと宣伝をみて、なんとなく好きかも…と思い、銀座についでもあったのでふらふらと寄ってきました。
お気軽に寄れるのが無料のギャラリーのよいところです。特にココだいすき。
あ…ただ、入口でエルメスのお客様のためにドアを開けてくれるにいさんの横を通る時だけ、ちょっぴり「すまんね、金も落とさない客のために(開閉してくれて)…」と内心思っています(^^;)
でも、たとえお金があってもエルメスのスカーフとかは買わないような気がするの…。今のところああいう華やかなモノは趣味ではないのです(もっとおばさん魂が開花してきたら変わるのかもしれまえん)。広告は好きなんだけどなぁ…。話それまくりです。
クリスチャン・ボヌフォワさんはフランスを代表する作家だそーです。
マティスのレリーフ状の彫刻「Dos/背中」と出会って画家を志したとか。おお、なるほど!ってわかりやすい作品がありました(^^;) ↓(2と3は題名もまんま「Dos」です。)
マティスのこれがすき!と思ってこんなに素直に影響された作品をつくっちゃう、この素直さが潔くていいな、と思いました。
半透明なカンヴァスを使用したり、やわらかい素材を使うことで微妙な色調のニュアンスを出してみたり…とはっきりきっぱりと色面を強く塗ってしまうマティスとは逆のところもあって、個人的にはそんなボヌフォワさんの方が好きな気もしたりして。そう感じる自分を、ああ…日本人…と勝手に納得してみたりしました。あ、でもボヌフォワさんはフランス人ですけども…。大体マティスもフランスか…。
マティスとか大野五郎とか、とってもきれいで素敵だな~とは思うのですが、なんだか自分とは根本的に違うな、と感じる部分もあるのです。
が、ボヌフォワさんのこの微妙な繊細さはなんだかとっても自分にしっくりくる感じです。
そしてギャラリーの奥のわりと大きめの壁にどどーんと、こういう感じのも。↓(部分ですが…)
すんごいのびのびとしていて、なんだかいいなぁ…と思いました。線が自由です。
でもまあ、ボヌフォワさんは美術史家・批評家としてキャリアをスタートさせた方であって、作品自体にもとっても理屈ばったものが根底に流れてるようです。ひー。かっこいいです。あ、バカにしているわけではないです。
解説には、
ボヌフォワの作品は伝統的な「絵画」への問いかけをその根底に持っています。「絵画は、それを構成する諸要素が、その消失に向かって作用するときにのみ価値を持つ」というボヌフォワの作品に、私たちは何を見い出すでしょうか?
と、ありました。
結構ふつうの人が読むと意味不明な文章のような気がするんですが…どうなんでしょう…。
さらに、ボヌフォワさんが自身の言葉で自作を解説している(もちろん日本語訳)をいただいたのですが、こっちは小難しい言い回しをしつつも、言いたいことはわかりました。
でも、小難しすぎて要約しがたいので、はしょります。すみません。
御興味ある方は来年2月28日までに銀座へGO!です(^^;)
ボヌフォワさんはオクサマと大徳寺大仙院を訪れて、当時の住職の尾関宗園氏の歌声に迎えられたとか…なんだかものすごいエピソードをお持ちです。大仙院の庭についてもちょっと語っていたり…。
ああ…大仙院の庭、いいですよね。大好物です。やっぱりボヌフォワさん、気が合うかもしれませんよ、と一方的に思い始めました。
特に最後に語られていた文章に共感しました。↓
絵画も庭と同じように、絶えず変容する一つの過程であって、絵画の完成、それが壁に掛けられて展示されるオブジェとなることは、その絵画の運ぶ感情や思考がそこで終わってしまうことを意味しない。感情や思考はそれぞれの道をゆき、他の媒体、他の身体に変容し、他の場所へ移動するのである。
↑ ここんとこです。そうね、そうね。みた人に残るのよね。気持ちや思考が。で、またいろいろみた人同士でお話してみたりして、新しい何かに気づいたりしてね。たのしいのよね。美術をみるのもお庭をみるのも。
ま、続いて、最後の一文の↓
「死後の生」について語ったとき、ヴァルター・ベンヤミンが言いたかったのはそれだったのだと思う。
↑ ココ読んで、あら?ベンヤミンって読んだ気がするけど、内容がすっぽり抜け落ちておるでガス…という己の見事なボケボケ脳の愕然とするのであります。きっとよく理解できていなかったからガンガン忘れるのね…。恐るべし我が脳…。
でも昔読んで細部を忘れた長編ミステリとか読み返すとうんと楽しめてよいのさ(←負け惜しみ)。
てな感じでございました。(まとまりません…(^^;))