じゆうちょう。

日記です。観たもの、食べたもの、読んだもの、ほか。

鳥獣戯画 京都高山寺の至宝 展(東京国立博物館 平成館)

後期、行ってきちゃいました!

 

正直「行く」というより「並ぶ」というイメージが強くて、行こうかどうしようか逡巡してる間に前期が終わっていたという感じで。

 

元々行列に並ぶのは好きではないというかそういう熱意が子どもの頃からないというか。

むかしむかし学校からバスでつくば万博に連れて行かれた時も、空いてる国のパビリオンばかり覗いていた思い出というか。

 

でもまー、人生で一度くらい立派な行列に並ぶ体験をしてみようかな、どうせするなら老人になる前の元気なうちに!と考えて、友人を誘って(一人で本読みながら並んでもいいとも思いましたが、ダメ元で誘ったら、友人も行こうか逡巡してたらしく付き合う事にしてくれたので)行って参りました。

草むしり用の大きめの黒い帽子とお水を持って。

 

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ばばん。 

このわんこ、動きの本質がリアルでそれでいてかわいくて魅力的でした。

 

この撮影可能コーナーがある入口内に入るまでに、炎天下で50分くらい並びました。

でも、多分、相当マシな方。

 

平日、9:30開館のところ9時に並びだして、実際の開館が15分くらい早められてこの感じです。

 

時間帯によって外で並ぶ時間、そして内部で最後に展示されてる目玉の「鳥獣戯画」の前で再び並ぶ時間はイロイロなようですが、内部は大体2~3時間並ぶ様子。

我々は内部の並び時間は2時間ちょっとでした。

 

外や内部での並ぶ時間について小まめに東博がツイートしているのをみてから行ったので、まぁ覚悟どおりというか、覚悟よりはマシだった感じというか。

 

外では日傘の貸し出しをしていたり、給水所があったり、恐らく具合が悪くなった人が休める椅子がたくさん用意されてあったり、何だかお祭り気分でちょっと楽しかったです。

 

ちなみに外の感じ。↓

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リアルに水に飛び込む兎たち。楽しいです。

東博がんばってるのね、と思ってしまいました。

 

入口手前で暑い中、日に焼けながら何度も小まめに入館後の説明を大きな声で汗だくでする職員。

入口近くで戻した日傘を両手いっぱいにかかえて、行列のスタート地点まで戻す職員。

テント下で給水準備をする職員。

学芸員は何よりも体力ですよ」って以前学芸員をしていた大学の先輩が言ってた事を思い出しました。

 

 

で、中に入りまして…「鳥獣戯画」以外と「鳥獣戯画」、どちらを先にみてもよいことになってます。

我々のタイミングでは「鳥獣戯画」を先にした方が「内部での並ぶ時間」が短くてすんだと思うのですが「せめて鳥獣戯画以外の作品を空いてる中で味わおう」という話になり、まずは順路どおり鑑賞しました。

 

上の写真のわんこもそうでしたが、動物の立体作品に特に心ひかれました。

「鹿」が特に。(ちなみにこれも高山寺のものでした。)

全身の佇まいも顔つきも本当にかわいい。

 

西洋的な写実表現とはまた違う形で、でもとてもリアルで生き物の骨格構造をしっかりと捉えているのも感じられてすごくよかったです。

 

この本質をしっかり捉えている感じが、この後太田記念美術館でみた葛飾応為の筆にも感じられたことをこの記事を書きつつ今気づきました。

 

現実の本質がある感じ、それは別に「デッサン力あって偉いね」って話ではなく、でもデッサン力ないとそれは捉えられないんだけど、別にデッサン力があるから価値があるわけではなくて。

世界の自然物には生きているモノの美というものがあり、デッサン力がないと、その自然物に内在している美の形を抽出することができないという話であって。

 

高山寺の鹿にも応為の絵にも「美」というものが存在しているなぁと感じたのであります。

 

 

さて、鳥獣戯画は前期と後期で本物を展示している部分が変わるのですが、本物じゃなくてもちゃんと写真パネルがあるので大丈夫です。

 

大丈夫って…。それ言ったら、本屋行くと雑誌で出てますけどね鳥獣戯画。並ばずゆっくりみれるっていう。

 

写真パネルと本物は地の色調が結構違いましたけど、現代の写真技術ならココの色もまったく同じに調整して展示できそうなもんだと思いましたけれど、あえて違う感じで「こっちが本物感」を出してくれてたのかしら?思いやり?とかどうでもよい事を考えました。

 

鳥獣戯画、子どもの頃初めて教科書かなんかでみた時は「ふーん」って感じだったし、大学の日本画の授業で模写をさせられた時も「こんなこと現代でもするんだなぁ日本画って」という淡白な感想でした。

 

今回、パネル及び本物をじっくりとみて、

「うーむ。しみじみとかわいいな」と思いました。

同じく高山寺がもっている立体の鹿さんと同様のかわいさ。

中村芳中酒井抱一が描く動物にも息づくかわいさ。

 

この種のかわいさ、日本の作品以外ではみないような気がしました。

 

枕草子の「うつくしきもの」で、かわいらしいものを羅列していましたが、日本人はホントに昔からかわいいもの好きなのね、というか。

 

この「かわいいもの好き」精神、ちょっと未熟なモノをかわいいとしてしまう、若いコを賛美してしまう、成人しても幼児性を残してなかなか大人になろうとしない傾向と遠くつながっておるのかしら?なんてことも妄想してみたり。

この若者賛美は、死を穢れと考える日本人の考え方とも関係しているのかもしれないけれど…等々たまに思うことを思い出してみたり。

 

んー、でも「いつまでも幼稚なオトナ」にはなりたくないぞう!と強く思ったり、「死んじゃうのは生き物として仕方ないよな」と考えている自分でも、やっぱりこれら、鹿や「鳥獣戯画」の兎や蛙達の「かわいさ」には非常にぐっとくるものがあるので、やっぱそれはそれとして「何はともあれ日本人はかわいいものが好き」なのか。

DNAに組み込まれちゃっているのか。そうかも。

 

ま、人間だけでなく生き物の顔の目鼻の配列は「かわいい」形、「〇」に近い形になっているわけで、それはオトナが「かわいい」と思って「守ってあげたい」と思うからかも、という話も昔どっかで読みましたが。

そうなると、生き物としての本能として「かわいい」ものに心をつかまれてしまうのか。

 

ま、とにかくですね。

これ、買っちゃいました。↓

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こける兎。リュックに入れて使ってます。紐が長いところが気に入りました。

 

あと…

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Tシャツも!

コマ割りも吹き出しも鳥獣戯画によく似合う…。

そうね、マンガっぽいもんね。

追いかけてる兎のポーズ、カツオを追いかけるサザエさんを彷彿とさせるな、と思いました。

 

で、この後に、アジの丼食べて応為をみに行ったってぇわけであります。

( 広重と清親―清親没後一〇〇年記念 展(太田記念美術館) - じゆうちょう。 )



(おまけ)

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近頃のお気に入りです。

実家がキリン派だったせいか原点回帰傾向です。


一位転落からも久しく大変らしいと居酒屋を始めた友人に聞きました。


がんばれ、キリン!!