じゆうちょう。

美術展やら食べた物やら気の向くままにかいてます。

メモ書き、1

「5時に夢中」(←MXテレビの番組。私は公開録画に誘われて行っちゃうくら好きだが、とてもふざけた番組なので決してオットにはみせるまいと思っている番組。特に木曜日がお気に入りで毎週録画設定)をながら見していたら、ミッツ(まんぐろーぶ)が、「こうして年に一度くらい、あの時自分はどうしていたのか思い返すというのが防災には役に立つような気がする」的なニュアンスの事を言っていた。

 

わりとミッツの意見に同意することが多い私は「そっかー。そういうもんなのかなぁ」と思って、初めて自発的に5年前の自分の記憶を思い返した。

 

自分の周囲の人はわりと「あの日自分がどう大変だったか」を話すのが好きな人が多い。いや、好きなわけじゃないのか。思わず話し出すっていうか、話し出すと詳細に語りたがる人が多い。あの時の恐怖を少しでもやわらげたいのかなぁ。

 

自分は自分から語らないし細かく語らない。

それは多分「大変じゃなかった」からです。

 

そう、申し訳ないほど大変ではなかった。

 

その日のその瞬間、私はヨコハマ某所で仕事中。

午前中珍しく隣の係の手伝いで…もう少し正直に書くか。

 

当時大学事務のパート(会計担当)をしていた私は、翌日に控えた入試のため午前中設営メンバーに駆り出され、講義棟の机上の落書きチェック(全部やる。大学の机に落書きすんな。いや、私もしてたか…昔過ぎて記憶がおぼろげ)やら、たくさんの教室の机を指定の不思議な形に並べ替えたりと肉体労働に従事していた。

 

その疲労からか午後2時半過ぎに眠くてたまらず、コピーを取りに行ってみたり行きたくないトイレに行ってみたり、そして手を念入りに洗ってみたり。

 

そして年季が入ってボロボロの3階立ての建物が派手に揺れた。

東京出身の私は震度4くらいまでは平然としている。

これはそれ以上かなと思ったけれどやはり落ち着いていた。

 

だって、自分がいる場所は近所の人たちが「避難先」として逃げてくる場所だから。

ある程度の備蓄がある事も知っているし(毎年期限切れ直前の乾パンとかみんなで分けてもらって帰る)、建物から避難した方がよい場合、それなりに大きな空き地的なスペースが学内にあることもわかっている。

とにかく自宅や大きな駅周辺にいる時よりは安心安全。

 

すぐに席に戻ると、同じ部屋にいるはずの各係長以上のオジサン達が珍しくこぞっていなくて、若手職員と若くない私の5人だけ。

しつこく大きく揺れていたので、みんな素直にしばらく机の下にもぐっていたけれど、そこそこにおさまったら、すぐに仕事を始めた。

 

もちろんその日の仕事の続きではない。

上からの指示を内線で確認して学部内に放送を流したり、学部管轄の学外にある各施設への被害状況確認を電話でしたり。

 

私はメモするための裏紙とペンを持って、すぐ隣の6階建ての研究棟の被害状況確認に出ることになった。

耐震工事を終えたばかりのココともう一つの5階建ての研究棟は大した被害はないだろうということで私や若手職員が向かって、少しだけ築浅のために耐震工事がなされていなかったヤバそうな8階建ての少し離れた研究棟には戻ってきたオジサン係長が行ってくれた。

 

3月の大学は基本的に授業はなく卒論修論からみのいろいろも終わっていて、学生は少ないのだが、私が行った先はさすが理系の研究棟、各階に教官か学生がいて、1室ではしっかりと実験中だった。

 

幸い立ち会っていた教授がすぐに適切な指示を飛ばしていたので、特に被害がそこから広がっている事はなく、ただ触らない方がよい液体や粉々になった実験道具が広く床中に飛び散り、その上には大量の落下した書籍があった程度だった。

学生たちはちょっと茫然としながらも教授を中心に片づけを始めていた。

 

無人の教官室も多く全室内部の点検まではしなかったが、軽く階段にうっすらとしたヒビが入った箇所がいくつか見つかった程度で、「築30年以上の手抜き工事と噂が立ってる建物なのに…耐震工事ってエラいな」って思った。

 

戻ると、耐震工事を施されていない研究棟の8階の自分の研究室から逃げてきた教授が、自分の部屋で何が起きたのかそれがどれだけ恐ろしかったのか興奮した様子で隣の係の職員に語っていた。

 

気持ちはわかるが無事だったんだしよいではないですか。

今、事務職員は無事だった人の話を聞くより、無事じゃない人が学内にいないかどうかの確認を急務としておるのですよ。

と内心思いつつ、学内状況確認業務やらの続きをした。

 

「携帯のメール混み合ってるみたいですね」って話から「そらそうだろう」と特に誰にも個人的に連絡をとろうとしない私をみて、「家族に連絡しなくていいの?」と隣の席の友人が心配した。

 

言われるまで思いもしなかった。

連絡とってもそれで自分がすぐに何かできるわけじゃないしなぁみたいな発想。

 

ハハがいる実家は都内で離れてるし、交通も止まるだろうから駆けつけるわけにもいかないし、つーか、実家の建物は大学の建物よりは相当頑丈にできてるからそんなに心配ないし、東京育ちのハハも大きな揺れにビビるタイプではないしこうした時は落ち着いてるから慌てて怪我したりとかしないタイプだし、今までの人生こんな時にお互いに電話しようとするタイプではないのだ。

 

つーか現実として電話通じないし。ま、とにかく死んでてもどうもできぬ。

 

オットには一応PCのメールで互いの状況報告をした。

 

(つづく)