S10号(53x53cm)のキャンバス、廃棄予定の使用済みのものをもらえるということで、先週末、母校の美術室へ行ったら「4枚くらい」って話だったのが13枚もらえることになりまして。
あまりの重さに持ち帰ることはあきらめて、送るべく近くのコンビニへ。
って、そこまで運ぶだけで腕がちょーぷるぷるした。翌日筋肉痛ですよ!
今日ぷちぷちをはいで早速一部を取り出して、黙々と釘抜き。
↑ 後輩たちが授業で描いて提出しその後持ち帰らずに数年放置されたものであります。
お嬢様達は資材を大切にする心が少ない人も多いのであります。
金のありがたみを知らない派が多いのでね。
だが、そのおこぼれにありがたく預かる「元お嬢様」のうんと上の先輩がいるわけで。
えへへ。
せんせー、ありがとう!!
ワシもちょっといる元教え子にはいつまでも親切にしよう。(?)
思えばお嬢様学校に通っていた中高時代、「食べきれないのよね~」ってお弁当の美味しいおかずをおすそ分けしてくれる同級生がたくさんいたな~。しあわせだったな~。
うちは「かーさん、仕事でものすごく忙しくてちゃんとお弁当なんて作れないから。とにかくのり弁にするから。おかずは適当だから我慢して。どんなおかずでものり弁にすればどうにか食べれるでしょ」って、のり弁と枝豆、とか、のり弁とお好み焼き、とか斬新な組み合わせ多かったなー。
そもそも食欲魔人としてピークの時代だったからデカめの弁当箱持って行っても足りなくて、中学の頃は「食べたりない…」って言ってたら毎日、フタ一杯に同級生達がいろんなおかずをくれたものだった。
(やっぱ、天気いいのっていいな!)
ギスギスしてなくて優しい同級生だらけのよいクラスで毎日2個分のお弁当を食べれてしあわせな時代であった。
かーさんは「中学の3年間はがんばるから」ってとにかく大抵は毎日のりと米と何らかのおかずをつめてくれた。いや後半、自分でつめてたかもだけど。
そしてたまに「無理だった」って現金をくれてコンビニで何かを買って行っていたが、当時の我が母校では「コンビニ弁当」を持参するお嬢様は学校におらず、大変うらやましがられたものであった。
うーむ、なつかしい。
中3の夏前に実家の商売はえらいことになって、お嬢様学校から転校するとかしないとか夜逃げをするとかしないとかいろいろあったが、結局高校卒業まで通えてその後もずーっと毎月美術室でのデッサン会に通い続けている。
きっと附属の大学に進んだ同級生よりもあの学校に通いまくってんな、と思うと改めて不思議な気持ち。
とりあえず明日もS10キャンバスの釘をぬこう。
一気に大量にぬくと手のひらが痛くなるから、ちびちびと。