昨日、知人の飲食店ギャラリーでやらせてもらってたグループ展が終わった。
最終日、店の常連さんで顔なじみの方が柿の種をくれた。
新潟のですって。なんかものすごく定番っぽい味がした。
定番の味ってなんだか生き残りに強い気がする。王道とか。
来てくれた絵描きの先輩と美術系の店主と3人になった時間帯、絵の話をいろいろした。
人と話すと自分の考えが整理されたり、心の底で強く思っている言葉が急に声に出てきたりしておもしろい。
毎年出している絵の公募展、ただいま絶賛審査され中だが、そこの団体の会員の多数を占めるお年寄りの作家達が求める「王道(それは一つではなくていろんなパターンはあるのだけれど)」の路線はあまり私は描きたくないのだな、としゃべってたら改めて感じた。なーんかセンスが違うっちゅーか。
健全に会員一人が一票で審査をしている団体だそうなので、会員の多くを占めるお年寄り作家と趣味が合わないというのは結構致命的だな、と改めて思った。
「会員になれるようにがんばって」って言ってくれる会員さんもまあまあいるんだけども、「会員になるメリットって?」って気持ちが昔からちょっとあって、「ならなんで出してるの?」という質問を最近友人Mちゃんから受けたのだが、
大学時代、指導教官ではないある教授に「社会に出るとなかなか大きな絵を描く機会というのはない。公募に出すとかしている人は別だけれど。そもそも絵を描き続けていきたいなら、何かに出すとか個展をしていくとかグループ展をしていくとか何か形を決めないとなかなか続かない。大きな絵は描かないと描けなくなるから、そういう意味では公募展に出し続けることも意味がある」というようなこと言われたので、「まあ、年に一度くらいは大きな絵を描いていこうかな」って思ったんだよね、って友人に説明した。
説明してわかった。そうか、そんなゆるゆるな目的で私はあそこに出していたのか。
ま、中高時代から今も毎月デッサン会でお世話になってる恩師が「よかったら出してよ」って言ってくれて、比較的審査料もぼってない感じだから「じゃ、ココにすっか」って感じで出し始めたわけだが。
でも、結構長く出しているせいか「そろそろ会員になれるように本当にがんばって」って熱く声をかけてくれる人がちょびっと増えてきた。
このまま出し続けるなら、もう会員を目指す感じの絵を出すべきなんじゃないかしら?って何だか強めに思い始めてきた。(遅いのか?)
や、少し前から少しはそう思い始めているんだけど。
自分の趣味丸出しな絵じゃなくて、「自分の趣味にあいつつも会員全体から多数決でたくさん票を集めれれるタイプの絵」を出さないと、なんだか同じ言葉を毎年会期中に顔見知りの会員さんから言われてしまってそれも何だかうっすらイヤな感じ。
来年出すとしたら、「迎合するのとも違くて」「求められてることも抑えながら描きたい絵」ってヤツを描こうかな?って気持ちになってきた。(遅い気がする…)
いや、その、要望に応えながらやりたいことやるスタイルの絵ってどんな感じよ?ってまだ漠然としかイメージできないんだけど。
でも、まあいくら自分の金で描いてるとは言え、美術館に展示してもらうんだし、観る側飾ってくれる側のリクエストにも応える部分あってもいいんじゃないかっていう、そんな気持ちがほんのりとしてきた。
もしかして…ワタクシって非常に横柄でワガママ者なのかしら?って今、これを書きながらちょっと思った。
まあ、いっか。